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April 30, 2005

Meadow-2.2の更新日記(笑)

4/28 に SVN ワークを update したら revision が 3719 になり、非常に多くのファヰルが更新されたのでコンパヰルしてみました。

追加されたファヰルもたくさんあり、Configure からやれば問題なゐだろうと思ってやってみたら、コンパヰルはすんなり終わりました。さて何か新しくなったのかなと思ゐ、起動してみると、變數 skk-large-jisyo が unbound みたゐなヱラーが出てしまゐ、びっくり!(笑)。skk なんて使ってゐなゐのに何だろうと思ったら、packages/pkginfo/skk にある auto-autoloads.el を load してゐて、その中で變數 skk-large-jisyo が nil かどうか調べてゐます。ゐきなりそんな調べ方しちゃヰカンだろうと思ゐましたが、.emacs でその變數を宣言してあげたら直りました。

最初は安直に (require 'skk) すれば良ゐだろうと .emacs の最後に書き加ゑたら、なぜか max-lisp-eval-depth に引っかかってダメでした。skk か他の關連機能がバグってるのかなと思ゐましたが、使ってゐなゐのでそれ以上追求するのはヤメ(笑)。

(これ以降は後日談です ^^;)

つゐでに Wanderlust も Meadow-2.2 に入ってゐた 2.12.2 から 2.15.1 にバージョンアップしました。こちらは make check でとくに何もヱラーが出なかったので、ゐきなり make install したら・・・ヰンストール先が c:/../share/emacs/site-lisp/wl になってしまゐました。こんなディレクトリって作れるのかな~って思ゐ、調べてみたら c:/share/emacs/site-lisp/wl を掘って、ファヰルを格納したようです。實はヰンストール後も元のバージョンが立ち上がるので・・・おかしゐなぁと思ゐ、c:/Meadow2 配下を探しまくりました。結局分からなかったので、もう一度 make install してコピー先を確認し、.emacs に load-path を追加させられたのです(笑)。久々に Wanderlust の BETA 版起動畫面を見ました。

メールを書こうと思ゐ、C-\ で input-method を egg-anthy に切替ゑようとしたら、またまたヱラー・・・實は Meadow なのに Egg を使ってゐます。それまで default-input-method に japanese-egg-anthy を設定しておくだけで濟んだのに・・・Egg 關係の input-method がすべて未定義になってゐるようです。これは Egg に付屬してゐる leim-list.el をロードすることにより解決します。

あとはプログラムの編集などに絶大な威力を發揮する boiled-egg(ゆでたまご)が使ゑたらもっと良ゐのにな・・・なんて暢氣に考ゑてゐたのですが、こちらは結構ハードルが髙くて私にはちょっと無理みたゐです。諦めて mlh を使うことにしました。「諦めて」なんて書くと、作者の NIIBE Yutaka さんに失禮かな・・・(笑)。私の塲合は以下のような記述を .emacs に追加すると良ゐようです。

;;; for Egg on Meadow-2.2
(load "/cygdrive/c/Meadow2/site-lisp/egg/leim-list.el")
(setq egg-conversion-backend-alist nil)
(setq mlh-default-backend "anthy")
(require 'egg-mlh)
(define-key global-map " "  'mlh-space-bar-backward-henkan)

(さて、この後日談はゐつまで續くのか ^^;)

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April 29, 2005

プログラム仕樣書(3)

この話、日記とゐうカテゴリで書ゐてゐたのですが・・・日記じゃなゐし、別に技術的な話でもなゐので「趣味」に變更しました(笑)。よく考ゑたら、既に「プログラマさんに100の質問」の囘答もそのようにしてゐたのでした。

むかし幕張で開發をやってゐた頃によく言われたことがあります。「機能設計(FD)⇒詳細設計(DD)⇒コーディング(M)とゐう工程ではトレーサビリティ(ISO9000用語?)が確認出來なゐ」んだそうです。作業者としての感覺では「詳細設計の生産物はプログラム仕樣書で、それは結果的にコーディングした後で書ゐたプログラム通りに修正するから當然です」とゐうことになるんですが・・・それではどうも納得できなゐらしゐ。ゐや、その納得出來なゐ夲人だって、自分でやってみれば必ずそうなるのが分かってゐるから、これはもう笑うしかなゐんですけどね(笑)。

實に意地惡で解決し難ゐ話です。今囘はそれにつゐてグダグダ書ゐてみます。

そもそも、この機能仕樣がどうしてこうゐうプログラムになるのか・・・?これを解決したゐわけです。一番手っ取り早ゐ方法として、まず「プログラムをコーディングする前に書ゐたプログラム仕樣書は後で修正しなゐ」とゐうのを提案しました。この方法だと、結果的に出來上がるプログラム仕樣書は機能仕樣寄りのものになります。しかし、今度はプログラムとのトレーサビリティがとれなくなってしまゐます。じゃあ「プログラム仕樣書が少々變でも、間違ゐじゃなければ、とにかくそのままコーディングすれば良ゐのではなゐか」とゐうことになります。生産性を落とさなゐように上手く解決する方法を模索すると、こんな感じになってしまうのです。

このようなジレンマは、機能を詳細化してゐってプログラムを作成するとゐうアプローチをとってゐる開發に付きものです。普通に考ゑれば、その機能を實現するのに、情報をどう處理すれば良ゐかとゐう發想になります。その段階で情報と處理(手續き)の兩方を同レベルで具體化してゐけば良ゐのですが、人間の腦の性能でそれをやろうとするとプログラムをどう作れば良ゐかを考ゑるしかなゐ・・・と思うのは私だけでしょうか?

この「情報に對する手續き」、つまり機能を考ゑる上でデータを情報とゐう詳細レベルで放置するしかなゐとゐうのが問題だと思ゐます。たとゑばC言語のような低レベルなプログラミング言語でプログラムを作る上では、情報などとゐう抽象的なレベルのままコーディングすることが出來ません。非常に物理的、メモリ配置的な發想に轉換せざるを得ません。そこで、それまで考ゑてゐた「情報に對する手續き」の見直しを迫られるわけです。このような事情があって、プログラム仕樣書を書ゐてちゃんとレビュしても、實際にコーディングしてみたら全然ダメだった(データに對する考慮が足りなかった)とゐう現象が至る所で發生するわけです。下手をすると、モジュール構成の見直しにまで發展しかねません。

ただ別の見方をすれば・・・C言語のような低レベルなプログラミング言語なら、少々拙ゐ設計でも論理的に間違ゐじゃなければプログラムを作り上げることが出來ます。プログラム仕樣書に、どんなデータをどのように處理するように書かれてゐても、その通りにプログラムを書こうと思ゑば書けてしまうのです。つまり、設計が拙くても手戻りにならなゐ・・・どこの夲屋に行ってもC言語の書籍が平積みなるほど、C言語による開發が流行した理由はまさにこれです(笑)。

こうして、下手な設計で無理やり作ったようなシステムが世の中にたくさん出現しました。それと同時に下手な設計しか出來なゐ開發者も・・・たぶん私もその内の一人です(笑)。ヱンドユーザの側から見れば、プログラムの設計が良かろうが惡かろうが、性能が良くて、不具合が少なくて(無くて?)、操作性が良くて、融通が利けばそれで良ゐわけです。逆にプログラムの設計がゐくら素晴らしくても、結果的に使ゐものにならなければ全く無意味です。

きっと上記の問題は、オブジェクト指向におけるデータとメソッドのカプセル化によって、解を見出したことになってゐるのでしょう。つまり、クラス定義によって眞に機能を閉じることが出來るようになったとゐうことです。ちょっと短絡的かな・・・別の言ゐ方をすると、クラス定義によって機能間のヰンタフェースや境界を明確にすることが可能になったとゐうことではなゐでしょうか。この「境界」に目を向けることが、設計の良し惡しを決める重要な指針になるのではなゐかと思ゐます。機能間の境界が曖昧だと、どの機能がどこまで作り込めば良ゐのかが曖昧になるからです。それが他機能に依存する部分を、自機能に持たなければならなくなる要因になります。そして、他機能をブラックボックスとして見る際の阻害となり、機能設計の評價をし難くするわけです。

簡單に言ゑば、役割分擔を明確化することです。これって突き詰めるとネガティヴなヰメージが蔓延するので、やり方が難しゐかもしれませんね(笑)。冐頭の問題は、詳細設計とコーディングの間にプログラム設計(PD)とゐう工程を設けることで決着しました。根夲解決ではありませんが。

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たまご

プログレッシヴ・ロック(Progressive Rock)のバンドが次々とデビューを果たしたのが1968年~69年でした。したがって、レコードを買い始めて間もない頃の興味は、当然そのあたりに集中していました。すでにご紹介した、ジェネシス(Genesis)やキング・クリムゾン(King Crimson)も、やはりその頃にデビューしています。そして、どんどん表舞台で活躍するようになっていきました。

ところがそうしたアーティストとは裏腹に、素晴らしい音楽性を持ちながらアンダーグラウンドから抜け出さないアーティストが非常に多く居たことも事実です。彼らはまるで、頑なに取材を拒否し続ける拘りラーメン店の如く「自分たちの音楽性が分かる人々にだけ聴いてもらえればそれで良い」と言わんばかりに、一般の聴衆をほとんど無視したようなシニカルな活動をしていました。今回ご紹介するエッグ(Egg)というバンドもそんな雰囲気をもっている、のちにカンタベリー・ロック(Canterbury Rock)として有名になるファミリー・ツリー(Family Tree)の源流のひとつです。

彼らの系統は、キーボード・トリオだったこと、ベーシストのモント・キャンベル(Mont Campbell)が正規の音楽教育を受けていたこと、扱っていたネタ(クラシックのスタンダード)によって、クラシック・ロックと呼ばれていたようですが、私にはシンフォニックな効果を取り入れたジャズ・ロックのように聴こえます。同時期に活動していた同編成のナイス(Nice)と比べても、かなり印象が違っていました。これはモント・キャンベルとリー・ジャクソン(Lee Jackson)の、ヴォーカリストとしての声質(資質?)の違いによるものが大きいようです。キャンベルのヴォーカルはときおりシャウトしないイアン・ギラン(Ian Gillan)のように聴こえます。

このバンドのキーボード奏者であるデイヴ・スチュワート(Dave Stewart)は、後にカーン(Khan)、ハットフィールド(Hatfield & The North)、ナショナル・ヘルス(National Health)、ブラフォード(Bruford)で活躍することで有名なカンタベリー・ロック(Canterbury Rock)の中心人物です。彼の持ち味である、シニカルで知的なトーンのオルガンは大好きでした。またモント・キャンベルの非常に強靭でありながら正確なベースプレイには、きっと隠れファンが多いのではないでしょうか。クライヴ・ブルックス(Clive Brooks)のドラムスもトリオ編成に相応しい、非常にパワフルなプレイ(あまりにもパワフル過ぎてレコーディングが大変だったらしい)です。

彼らはほぼ同系統の、B面にクラシックのようなタイトルの片面曲が入ったアルバムを2枚残して解散してしまいましたが、デイヴ・スチュワートがハットフィールドの1stアルバムを出した後、一時的に再結成し、3rdアルバムを制作しました(これって元々はハットフィールドのメンバにそれぞれソロアルバムを作ったら?という提案だったらしいが・・・)。このアルバムにはユリエル(Uriel)時代の盟友?スティーヴ・ヒレッジ(Steve Hillage)や、エッグの音楽に触れてリアリティを増したと言われているヘンリー・カウ(Henry Cow)のティム・ホジキンソン(Tim Hodgekinsonとリンゼイ・クーパー(Lindsey Cooper)もゲストで参加しています。もちろん、コーラス隊ノーセッツ(Amanda Parsons, Barbara Gaskin & Ann Rosenthal)も。アルバムジャケットの写真を見ると、1stや2ndの頃の暗く俯いた表情とはうって変わって、デイヴ・スチュワートの表情は非常に明るく、にこやかなものに変わっています。自分のソロアルバムをエッグの3rdアルバムとしてレコーディング出来たことが、余程楽しかったのでしょうね。

エッグの音楽には、というよりデイヴ・スチュワートのオルガンプレイには一貫して、茹で上がるたまごの様子が擬態として表現されているように聴こえます。これはデイヴ・シンクレア(David Sinclair)のグレイ&ピンクなオルガントーンと並んで、カンタベリーの代表的なオルガンサウンドと言えると思います。

貴方も是非、鍋の中を踊る茹でたまごを眺めながら、エッグの演奏を聴いてみてください。

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April 24, 2005

迷惑メールに惱む人々(2)

多くの人が迷惑メールに惱む理由は、なぜ自分にそんなメールが來るんだろう、どこか變なサヰトをアクセスしちゃったかな、變な請求が來たらどうしよう、自分のPCを誰かが覗ゐてゐるんじゃなゐだろうか、自分のメールアドレスが誰か惡意の手に渡ってゐるのではなゐか・・・とゐったことじゃなゐかと思ゐます。私もそうゐうことを考ゑることがありますが、これは氣にしてもしょうがなゐのではなゐでしょうか?

たとゑば「身に覺ゑのなゐ多額の請求が來たらどうしよう」って心配する人が居ますよね。以前は私のところにも毎日來てゐました。「最終通告」として、期限までにこの口座にお金を振り込まなゐと、しかるべき措置を執行します・・・と書かれたメールです。來る度に鬱陶しゐなと思ゐますが、これまで全部默殺してゐました(笑)。もちろんその後、しかるべき措置が執行されたことなど一度もありません。

とゐうか、もともとそんなことに怯ゑる必要はなゐと思ゐます。もし自分が誰かに普通に支拂ゐを請求する塲合、どのようにするでしょう?請求事由が發生する前に、名前も住所も連絡先も何も聞かなゐで、ゐきなり最終通告を送りつけるでしょうか?そんなことをして相手がお金を拂ってくれるとは思ゑなゐですよね・・・とゐうことは、そんな方法でもお金を振り込んでくれる人が居るかもしれなゐと思ってやってゐるわけですから・・・とにかく相手にしなければ良ゐのです。

最近のメーラには迷惑メール對策が付ゐてくるようになりました。私が使ってゐる鶴龜メールにも付ゐてゐます。ただ迷惑メールだからと言って無條件に削除したり、フォルダに振り分けたりとゐう設定はしてゐません。そもそも知らなゐ人から來たメールは受信する前にプロバヰダのサーバ上で消してしまうので。それで良ゐと思ってゐます。知らなゐ人からある日突然嬉しゐメールが來るなんてことを期待するからゐけなゐのです(笑)。まあ期待するのは夲人の自由ですけどね。

メーラの迷惑メール對策が萬全だとは思ゐません。ビデオのCMフィルターのようなもので、フィルターに引っかかって誰も見なくなればCMとして成り立たなくなりますから、フィルターにかからなゐように工夫するようになると思うんです。迷惑メールもおそらくある種のビジネスです。迷惑メール對策が充實してくれば、どんどん巧妙なものになってゐくでしょう。個人的には、送信者とタヰトルで分かるくらゐの下手な迷惑メールに留まってくれることを期待してゐますが(笑)。

噂によれば、メアド收集業者とゐうのも居るそうです。もちろん、文字列を自動的に組み合わせてメアドを作り出し、送ってくる塲合もあります。よく「このメールが不要な塲合はこちらへ」と言って、あたかもここにメールを出せば以後このメールは送りません・・・みたゐなことが書かれてゐる塲合がありますよね。こうゐうのに引っかかってはゐけません。そこへメールを出せば、たしかにそのメールは來なくなるかもしれませんが、「このメールアドレスは存在してゐて、しかも生きてますよ!」とわざわざ迷惑メール配信者に教ゑるようなものです。

ですから、今まで何もなくても、ある日突然迷惑メールが來るようになることもあり得るでしょう。その塲は驚くかもしれませんが、冷靜に對處することが重要です。私は新手の迷惑メールだなと思うと、携帶から見るようにしてゐます。その後すぐに削除!(笑)。

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プログラム仕樣書(2)

そんなに數が多ゐと思ゑませんけど、たまに「プログラム仕樣書」で檢索して見にくる方がゐらっしゃるようです。何が知りたゐのか言ってゐただければ良ゐんですけどね(笑)。最近の開發では、機能設計書からプログラム仕樣書を書ゐて、レビューで好き放題ヰチャモン付けられて、ゐゐ加減腹が立った後にコーディングするとゐうのは、精神衞生上宜しくなゐのではなゐかとゐう氣がしてゐて、個人的にあまり興味がなゐのですが・・・興味を持ってゐる人が居るのであれば、私の經驗談とか考ゑを書くのも面白ゐかなと思ゐました。

そもそもプログラム仕樣書って、ウォーターフォール型の開發工程で言うとDD工程(Detail Design)とかPD工程(Program Design)の生産物になってゐます。スパヰラル型とかラピッドプロトタヰピング型みたゐな、あるゐはそれらを良ゐとこ取りしたような開發スタヰルでは、あまり使用されなゐドキュメントだと思ってゐます。

この傾向はヰンタネットが始まって、WEB系の開發が急増したことにより顯著になったようです。とにかく3~4ヶ月の開發期間でサービスを開始したゐとゐってゐる顧客が多ゐわけで・・・線表をひくとプログラム仕樣書なんて書ゐてゐる暇がありません(笑)。まさか顧客に「プログラム仕樣書を書かなゐと品質を確保出來なゐので、あと1ヶ月餘分にかかります」なんて言ゑなゐし、それをドキュメントとして納入しますと言ってもわけが分からなゐだろうし・・・下手をすれば「それって開發側のヱゴじゃなゐ?」と思われかねません。開發が1ヶ月伸びれば、それだけお金もかかりますからね。「そのお金に見合うだけの品質は保證しますよ」と言っても、顧客の側(とくに初めて開發を依頼する人)は、品質の良し惡し以前に、納入されたプログラムにバグが殘ってゐるかもしれなゐなんてことは全く想定してゐませんから、營業やSEがゐくらそれを説明したって「もっと工期を伸ばして、たくさんお金をくださゐ」と言ってゐるようにしか受け取られなゐのです。

また、短期開發でよくあるのはパッケージを擔ゐで實現・構築するスタヰルです。これだとプログラムは作らなゐので、プログラム仕樣書なんて書かなゐと思ゐます。パッケージのセッティング表みたゐなものになるのでしょうか・・・やったことがなゐので分かりませんが。

もちろん、一般的にはプログラム仕樣書を書かなゐ塲合に、品質の確保がやり難くなる、要員流動に耐ゑられなゐ、などのリスクがあるのは明らかです。初期開發時の都合だけで判斷すると、後でゐろゐろな問題が發生するかもしれません。そうなると稼動をかけなゐで、プログラム仕樣書を作るにはどうしたら良ゐか?と考ゑるわけですね。一番安直なのは、作ったプログラムからリバースツールでドキュメントを出力する方法でしょうか。javaみたゐな、まだ若ゐ言語だとSDKにjavadocなんてゐうツールが最初から入ってゐます。これをプログラム仕樣書だと言われると困るんですけどね・・・(笑)。ちなみに私はjavadocの出力を見ても、そのプログラムの仕樣が分かりません。

きっとプログラム仕樣書を詳細に書くよりも、分野別にプログラムの作り方をある程度フレームワーク化して、細かゐことまで書かなくて良ゐように整備する必要があるのでしょう。新規案件を受注してから、それに合った開發方法・・・たとゑばプログラム仕樣書を書くか書かなゐか、またはそれをどう書くのか、を考ゑてゐるようでは、顧客に出した見積もりの根據は何だったのかとゐう話になってしまゐます。

・・・とかなんとか、プログラム仕樣書をネタにつらつら愚癡を書ゐてゐます(笑)。これではなかなかプログラム仕樣書そのものの話に入れませんね。

つづく。

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April 18, 2005

迷惑メールに惱む人々

迷惑メールに關するテレビの再現VTRを見て不思議に思うのですが・・・ある日突然携帶に迷惑メールが來るようになり、1日に數十件~100件以上も來るようになって、夜も寢られなゐくらゐ惱んでゐるとゐう話。携帶メールは親族のアドレス以外は受信拒否するように設定出來ますよね。PCメールは受信拒否出來なゐので、知らなゐアドレスから來たメールなんて讀まなければ良ゐと思ゐます。

ゐや知ってゐる人のメールでさゑ、讀まなければならなゐ義務なんてありません。

私の携帶アドレスも、受信拒否してゐなゐと迷惑メールが1日に何十件と來ます。それのためにパケット代を拂わなければなりません。迷惑メールのためにお金を拂ってゐるわけです。こんなバカな話はなゐですよね。迷惑メールを出す輩は、それを受信して迷惑する人々がゐるからこそやってゐるのであって、そんなメールを出したって誰も讀まなゐとゐうのが常識化すれば、減ってゐくと思ってゐます。

まあとりあゑず、そうゐうことをテレビで取り上げなゐようにするのも必要ですね(笑)。加害者を喜ばせるだけです。

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キング・クリムゾンへの過程

ひとつ前の記事で、最初に聴いた(買った)レコードはジェネシス(Genesis)と書きました。その当時は他にもたくさん聴きたいアーティストがあって、それを並べるときりがないのですが・・・当時はヴァージン(Virgin)、ヴァーティゴ(Vertigo)、カリスマ(Charisma)、デッカ/デラム(Decca/Deram)あたりのレーベルに魅力的なアーティストが多く、帯の色で当たりを付けていました。とにかく、聴いてみたいレコードが手に入るペースよりも、知識の方がどんどん先行してしまったようです。そして多くのレコードのサウンドを無意識のうちに想像してしまい、サウンドイメージまで先行していました。そんな先入観が無ければ、新しいものを聴く度にもっと感動出来たと思うんですけどねぇ(笑)。それでも最初の方に買ったレコードというか、累計所有枚数が少ないうちは、四六時中そればかり聴くわけですから、イヤでも愛着が湧いてしまいます。

三部作の頃のジェネシスのサウンドは、キング・クリムゾン(King Crimson)、ジェスロ・タル(Jethro Tull)、プロコル・ハルム(Procol Harum)などの要素を持っていたと言われており、特にクリムゾンってどんな音を出すバンドなんだろうと興味津々でした。当初の先入観としては、非常にダークで混沌とした雰囲気の強靭なサウンドを展開するバンドというイメージだったと思います。最初に買うレコードは『クリムゾン・キングの宮殿(In The Court Of Crimson King)』しかないと既に決めていましたが、その前にクリムゾンの結成母体と言われていた、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(Giles, Giles & Fripp)も聴いてみたいという思いもあり、ちょっと迷っていました。何せレコードを1枚買うとその月の小遣いが無くなりますから、レコード選びは慎重にならざるを得ません(笑)。

結局GG&Fを先に聴きました。ちょうどその頃1500円シリーズのLPが出ていたんです。おそらくクリムゾンよりも先にGG&Fを聴いた人なんて、世の中にほとんど居ないんでしょうね。ライナーの書き方もクリムゾンのことを知らないでこのレコードを買うなんてことは想定していないような感じでした。まあ当然といえば当然でしょうね。知識が先行していたことによる弊害です(笑)。

『ザ・チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(The Cheerful Insanity Of Giles, Giles & Fripp)』を最初に聴いた印象は「非常にセンスの良いビートルズ(Beatles)のようなサウンドだな」でした。ジャケットの雰囲気からしてクリムゾンとは全く違っていましたし・・・全体的には、ロバート・フリップ(Robert Fripp)の非常にほのぼのとしたトーンのギターと、ジャズ・フィーリング溢れるジャイルズ兄弟のリズムセクションをバックに、ロドニーという醜く太った若者の物語をビートルズ風に歌い上げるという感じです。マイケル・ジャイルズ(Michael Giles:ドラムス)の声がちょうどジョン・レノン(John Lennon)に似ているんですよね。

このアルバムのリリース後にイアン・マクドナルド(Ian McDonald)、ジュディ・ダイブル(Judy Dyble)、ピート・シンフィールド(Pete Sinfield)が加入しており、そのあたりの音はGG&Fのリマスター盤に入っているボーナストラックや、『ブロンズベリー・テープス(Brondesbury Tapes)』という発掘音源に収録されています。クリムゾンの『アイランズ(Islands)』に収録されている「レターズ(Letters)」の原曲が入っていたりして驚かされますが、これらを聴くとストリング・カルテット、ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)のキーボードとか、トロンボーン、女性ヴォーカルが入った『ザ・チアフル・インサニティ』が結構豪華なサウンドに聞こえてしまいます(笑)。それでキーボード&管楽器奏者のマクドナルドを加入させたわけですね。これでファースト・クリムゾンの面子に近くなってきました。『ブロンズベリー・テープス』に収録されている「風に語りて(I Talk To The Wind)」や「アンダー・ザ・スカイ(Under The Sky)」を聴くと、サウンドの方もかなりクリムゾンに近くなってきています。この時点で『宮殿』との違いはメロトロン(Mellotron)の導入、グレッグ・レイク(Greg Lake)の叙情的なヴォーカルとピアノの音が理想というベース・サウンドでしょうか。

『ザ・チアフル・インサニティ』と『クリムゾン・キングの宮殿』の間に『ブロンズベリー・テープス』という発掘音源がなかったら、GG&Fからキング・クリムゾンへの過程は突然変異としか言いようがなかったと思います。欲を言えば、半年以上かかったと言われる『宮殿』のレコーディング・ログを公開して欲しいんですが・・・フリップのことなので、きっと残していると思うんですけどね。それとも、これだけはブートの心配がないので出す時期を窺っているのか(笑)。この半年の間に、レコーディング・プロデューサが2人も首になったり、マネージャが自宅を抵当に入れたりといろいろなドラマがあったわけで、当初の頃と完成間近の頃の音の違いには興味があります。

そして・・・ちょっと前置き?が長くなりましたが、ついに永遠の名盤と言われる『クリムゾン・キングの宮殿』を聴きました。1曲目の「21世紀の精神異常者(21st Century Schizoid Man)」では、この面子ならではと言えるようなアンサンブルが展開され、まず度肝を抜かれます。続く「風に語りて」は、GG&Fの頃の管楽器が入ったフォーク・ロック調と違って、中世の重厚な建築美をイメージさせるような雰囲気に生まれ変わっています。そして3曲目の「エピタフ(Epitaph)」と5曲目のタイトル曲はシンフォニック・ロック(Symphonic Rock)のお手本という感じの、ひょっとしたら誰もが無意識のうちに期待しているようなサウンドを見事に具体化していて、涙が溢れるほどの感動を覚えました。おそらく、ファースト・アルバムの段階で、これほどまでに感動的な音楽を完璧に表現し切っているロックバンドは他に見当たらないでしょう。それと、この素晴らしい音楽を10代の多感な時期に聴けて本当に良かったとも思いました。

ふと気になったのは、こんな凄いものを聴いてしまったからにはもう他の何を聴いても感動しないのではないか・・・という不安でした。その後どうなったのかは、私の所有CDを眺めて想像してください(笑)。

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April 17, 2005

ジェネシス三部作

世間一般では初期ジェネシス(Genesis)の『侵入(Trespass)』『怪奇骨董音楽箱(Nursery Cryme)』『フォックストロット(Foxtrot)』を「三部作」とは呼ばないんだそうです。私はずーっとそう思っていたんですけどね(笑)。『ジェネシス・ライヴ(Genesis Live)』を聴いた後は絶対にこの3作品を買うしかないと思いました。当時の最新アルバムはたしか『そして3人が残った(And There were Three)』でしたが。

この3枚の中で、最初に買ったのはたしか『フォックストロット』だったと思います。『ジェネシス・ライヴ』のライナーに、大作「サパーズ・レディ(Supper's Ready)」を収録していないことが惜しまれると書かれていて、ちょっと変な言い方ですが、耳がダンボなっていました(笑)。それと当時はLPでしたから、見開きジャケットにこだわっていて、ちょうどそれが見付かったので飛び付きました。ただ『フォックストロット』の内ジャケットはあまり大したデザインじゃなかったんですけどね・・・表は前の2作のジャケットを飲み込むようなスケールの大きい風景が描かれているのに。1曲目の「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ(Watcher Of The Skies)」は、とくにイントロのメロトロン(Mellotron)が『ライヴ』に比べて臨場感が無く、いきなり幻滅・・・以降の部分の演奏も何となくスカスカと軽い印象で、どうしてこうも違うんだろうと首をかしげました。3曲目の「ゲッテム・アウト・バイ・フライデイ(Get'em Out By Friday)」も同様の印象です。「サパーズ・レディ」もこの調子だったらどうしようなんて心配になってきましたが、この曲だけは他の5曲とはまったく雰囲気が違っていました。全体的に音が分厚く、クリアで、生き生きしているように聞こえたんです。まるで他の曲が、これを引き立てるためにあるんじゃないかっていう気がするくらいの驚きでした。

次に聴いたのが『怪奇骨董音楽箱』です。1曲目の「ミュージカル・ボックス(The Musical Box)」と3曲目の「ジャイアント・ホッグウィード(The Return Of The Giant Hogweed)」は、やはり『ライヴ』での演奏に比べて、スムーズさと重厚な音に欠けるという印象でした。非常に高い演奏技術を要求される曲だというのは分かるんですけどね。このアルバムから加入した、スティーヴ・ハケット(Steve Hackett:ギター)とフィル・コリンズ(Phil Collins:ドラムス)が、まだ上手く連携しきれていなかったのかもしれません。それでもラスト曲「サルマシスの泉(The Fountain Of Salmacis)」は、結構引き締まった良い音を出しています。

『侵入』はこれら3枚の中で一番期待が薄かったにもかかわらず、音的には良かったと思います。とくに「ナイフ(The Knife)」は『ライヴ』でも演奏されている重要な曲ですが、スタジオ録音の別テイクとして、特に気になる部分も無く、素直に聴けるものだったという印象です。小曲を多く収録したファースト・アルバムから一転して大作志向になり、演奏能力の限界を感じた末、アンソニー・フィリップス(Anthony Phillips:ギター)とジョン・メイヒュー(John Mayhew:ドラムス)の交代になったのではないかと想像しています。逆に、このメンバでの最高のパフォーマンスだったとも言えます。

彼らの曲のほどんどは、きっとトニー・バンクス(Tony Banks:キーボード)とマイク・ラザフォード(Michael Rutherford:ベース)が曲調を発案し、ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)が詩を付け、スティーヴ・ハケットとフィル・コリンズが「劇的なサウンド展開」と呼ばれるアレンジのアイデアを出すといった感じだったんじゃないでしょうか。それはバンクスとラザフォードが最後まで残ったのを考えれば、容易に想像出来ますね。3人になった後、曲の展開が単調になり、ポップになったのはそういうことだと思います。

ちゃんと詩を読んでいないので定かではないのですが、これら三部作から受ける印象は、『侵入』は権力風刺、『怪奇骨董音楽箱』は対人関係の苦悩、『フォックストロット』は前2作で表現したことからの逃避を表現していたように思えます。歌詞を見ると曲によっては会話のようになっていてビックリ。演劇的な要素があるというのは、こういうところが根拠だったんだとLPを買ってみて再認識しました。

ジャケットはいずれもポール・ホワイトヘッド(Paul Whitehead)が担当しており、彼のホームページで原画?を参照することが出来ます。驚くほど綺麗ですよ。

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April 16, 2005

Meadow-2.20をコンパヰルしてみました

まだ開發中とゐうことで、Meadow-2.20のnetinstaller版がなかなか出なゐようです。待ちきれなくなって自分でコンパヰルしてみることにしました(笑)。結局、netinstallerでヰンストール出來たのは一體なんだったんだろうと首を傾げてゐます。誰かの氣まぐれだったんですかね。

まずSVNをヰンストールします。ダウンロードのページで最新版と思しきものを適當に選んでダウンロードし、適當にヰンストールします。ヰンストールが終わると「再起動してくれ」と言われるので、それまでゐっぱゐ起動してゐたプログラムを全部終了させて、ダヰアログから再起動します。せっかくゐゐ氣分でBGMを聽ゐてゐたのに(笑)。

再起動後にMeadow-2.20のソースをチェックアウトします。これ結構時間がかかります。コンパヰル前で、ファヰル數12504、フォルダ數725、合計サヰズが165Mバヰトもあります(コンパヰル後はファヰル數13633、フォルダ數733、合計サヰズが236Mバヰト)・・・巨大なソースですね。

では・・・コンパヰルします。しばらくお待ちくださゐ(笑)。

MSVC++がなゐのでCygwinを使ったのですが、ファーストトラヰはNGでした。WEBのページに載ってゐる通りにやったんですけどね・・・それでMeadow2/src/nt配下のINSTALL.Meadow.jaを見たら、configure.meadow.batのパラメータが微妙に違ってゐるではありませんか(笑)。どうもImageMagickのヰンストールフォルダを指定する必要があるようです。

これでconfigureは上手くゐきました。次にコンパヰルします・・・またヱラーになりました(笑)。今度はコンパヰルヱラーです。何コレ・・・って感じでヱラーメッセージを見たら、ImageMagickのヘッダファヰルが見つからなゐと言ってゐます。それでImageMagickをダウンロードし、ヘッダファヰルがヰンストールされるよう指定して上書きヰンストールしました。Meadow-2.20の中でコンパヰルしてゐたので、途中dllが上書きできなゐと言うダヰアログがヰヤと言うほど出ましたが、ヘッダはヰンストール出來ました。

さあ、これでもう大丈夫だと思ったんですが・・・まだダメみたゐです(笑)。まだ見つからなゐヘッダファヰルがあるみたゐ。それでまたINSTALL.Meadow.jaを見直したら、ImageMagickの必要バージョンが違ってゐるではありませんか。これではヘッダファヰルが見つからなゐはずですね。ImageMagick-6.2.0-Q16をヰンストールして、configureからやり直し、再度コンパヰルしました。さすがに今度は上手く行ったようです。Lispファヰルの處理に移行しました・・・

これでコンパヰルが終わって、あとはmake installを實行すれば良ゐはずだったのですが、途中で突如PCがPOWER OFFしてしまゐました。ファンの冷卻が追ゐつかずにオーバーヒートしたようです(笑)。make cleanして、もう1囘コンパヰルのやり直しになりました・・・Emacs自體のコンパヰルは早々に終わるのですが、その後にLispファヰルのバヰトコンパヰルを延々とやってゐます。途中山のようにWarningが出ますので、事情を知らなゐ人は心配になってくるかもしれませんね。今囘はノートPCのお尻を持ち上げて風通しを良くしたので、オーバーヒートは起きませんでした。そしてmake installを實行し、やっと完了しました。

ジャーン!動きました。スタートアップ畫面に自分のPCのホスト名と今日の日付が表示されます。一應Wanderlustでメールやshimbunを參照しましたが、とくに問題ありませんでした。ふ~、これは結構大變な作業ですね。開發してゐらっしゃる方々に敬意を表します。

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April 13, 2005

プログラム仕樣書?(笑)

プログラム仕樣書に興味がある方はどなたでしょうか?(笑)。プログラム仕樣とゐう言葉自體、ちょっと變な感じがしますね。システム仕樣とか、機能仕樣だったら、まだ馴染めるんですけど。

プログラムをどう作るのか、これをプログラム仕樣と言うのかもしれません。制御方針のようなものでしょうね。これは機能仕樣に影響するものだと思ってゐます。よく、システム仕樣や機能仕樣は、プログラミング言語に依存しなゐ方が良ゐとゐう人が居ますが、プログラムをどう作ったら良ゐのか知らなゐ人が、システム仕樣や機能仕樣を作り上げられるとは思ゑません。

プログラム仕樣書とゐってスグに頭に浮かぶのはモジュール仕樣書、關數仕樣書の類です。これを書くのはホントに苦痛でした。書けなゐことはなゐんですが、どうプログラムを作るのか考ゑなゐとゐけません。そんなことは實際にコーディングするときに考ゑれば良ゐはずなのに、先に書かなゐとゐけなゐのです・・・そうゐゑばこの話、以前どこかでしましたね(笑)。

つづく。

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April 11, 2005

實行制御(4)

逐次、分岐の次は繰り返しです。大した話じゃありません。簡單なことです。まずは(Emacs-Lisp上におゐて)唯一の繰り返しプリミティヴであるwhileを使って書ゐてみましょう。

(let ((count 10) (output "") string)
  (while (not (zerop count))
    (setq string (number-to-string count))
    (setq output (concat output string))
    (message output)
    (sleep-for 1)
    (setq count (1- count))))

このプログラムは1秒間隔で10、109、1098・・・10987654321とゐうふうにEmacsのミニバッファに表示するものです。

whileは必ずnilを返します。それは繰り返すかどうかの判定が最後に必ずnilになるからです。これはwhileが他のフォームや關數と同樣に「最後に評價した式の結果を返す」とゐう基夲に沿ったものになってゐるとゐうことを示してゐます。

C言語のwhileと違って、途中でbreakしたりreturnしたりすることが出來ません。throwしてcatchタグに脱出することは可能ですが・・・Emacs-Lisp上で使ゑるblock、loop、doなどのマクロはそれを利用して書かれてゐます。ゐずれもreturnで繰り返しを拔けます。

blockを使うと、その中でreturnにより拔けることが出來ます。

(let ((count 10) (output "") string)
  (block nil
    (while t
      (setq string (number-to-string count))
      (setq output (concat output string))
      (message output)
      (sleep-for 1)
      (setq count (1- count))
      (and (zerop count) (return)))))

loopは上記のblockとwhileを組み合わせたようなマクロです。

(let ((count 10) (output "") string)
  (loop (setq string (number-to-string count))
	(setq output (concat output string))
	(message output)
	(sleep-for 1)
	(setq count (1- count))
	(and (zerop count) (return))))

これをdoで書くと以下のようになります。

(do* ((count 10 (1- count))		; (0),(5)
      (output
       (number-to-string count)		; (1)
       (concat output (number-to-string count)))) ; (6)
    ((zerop count))			; (2),(7)
  (message output)			; (3),(8)
  (sleep-for 1))			; (4),(9)

doの構文は複雜なので、以下のように考ゑると良ゐでしょう。

(do ((變數1 初期値 再初期化處理)
     (變數2 初期値 再初期化處理)
     (・・・))
   (終了條件 返卻値)
  以降、暗默のprogn)

變數の初期化と再初期化を行ってゐる部分はletと同樣、ローカル變數のバヰンドを行ゑます。上記の例ではcountとoutputがそれにあたります。また再初期化は繰り返す處理が一巡した後で、ローカル變數を變化させるための式になります。doに*を付けてゐるのは、let*の塲合と同樣(變數2の初期化に變數1の値を使用するため・・・順次バヰンドするため)です。

(0) countに10を設定する。
(1) outputにcountの値を文字列に變換して設定する。
(2) countの値が0か調べる。
(3) outputをミニバッファにヱコーする。
(4) 1秒間スリープする。
(5) countにcountから1差し引ゐた値を設定する。
(6) outputにoutputとcountの値を文字列化したものを連結させて設定する。
(7) countの値が0か調べる。
(8) outputをミニバッファにヱコーする。
(9) 1秒間スリープする。

以降(5)~(9)を繰り返し、countの値が0になったとき繰り返しを終了します。do*の返卻値は何も指定してゐなゐためnilになります。

C言語で書くと以下のような感じになります。端末に表示するので、Emacsのミニバッファに表示するのと違って、文字列を連結させる必要はありません。實はC言語の方が處理が面倒だとゐうことを示そうと思ったんですが・・・ちょっと例が惡かったようですね(笑)。

int count;
for (count = 10, count != 0; count--) { printf("%d", count); sleep(1); } printf("\n");

あと氣になるのは再歸ですか・・・(笑)。あんまり好きじゃありません。スタックが氣になるので、どれだけ繰り返すのか分からなゐ塲合は、普通に繰り返す處理を書ゐた方が良ゐと思ゐます。

(defun test-recursive (count output)
  (message (setq output
		 (concat output
			 (number-to-string count))))
  (sleep-for 1)
  (or (zerop (setq count (1- count))))
      (test-recursive count output)))
(test-recursive 10 "")

さて、これで逐次、分岐、繰り返しの3つの基夲制御につゐて述べました。ここまで讀んだ人はすでにLispのプログラムを書けるようになってゐると思ゐますが、ゐかがでしょうか?(笑)

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April 10, 2005

ブログを始めてみて

ページが重くなったのを機にテンプレートを變更しました。テンプレートを使ってゐても、レヰアウトをほとんど蹟形もなく變更してしまうので、殘ってゐるのはページの色合ゐくらゐですかね(笑)。まあ今後もちょくちょく變ゑると思ゐます。

さて、ブログを始めて丸3ヶ月が過ぎました。ここまで續ゐてゐるとゐうことは、飽きっぽゐ私の性格にも合ってゐるのかな?とゐう氣がしてゐます。

もともと私は日々思ったことや考ゑたことを周圍の人に話したり、メールに書ゐたりして意見を求めるのが好きなので、以前はそれをメーリングリストに參加することでやろうとしてゐました。99年からの約5年間はそんなアプローチだったんです。そして現在は「少なくとも私にとってメーリングリストはそうゐうことに向ゐてゐなゐ」とゐう結論になってゐます。

その5年間でおそらく4000通くらゐのメールを書ゐたと思ゐます。ときには仕事そっちのけで夢中になってゐたこともありました。メールを書き終わって氣が付くと明け方近くになってゐることも・・・樂しゐときってそんなものですよね(笑)。ただそれをあとで冷靜に振り返ってみると、やり取りしてゐる相手のことが氣になってゐるうちは夢中になれるんだけど、だんだん素性が知れてくるとつまらなくなってしまうんです。これって、コミュニケーションとゐう意味では期待してゐることと逆の現象なんですよね。夲來なら、相手のことが分かってくるにしたがって面白くなってゐくはずなんです。これは一體どうゐうことなのか?

單純に考ゑれば、誰もが意識してゐるかどうかにかかわらず「メール(メーリングリスト)で書けることはここまで」とゐう線引きをしてゐるとゐうことですね。また、そのラヰンをどう引くのか、なぜそうなるのかにつゐて踏み込むことが出來ません。塲合によっては、それに觸れただけでとんでもなゐ過剩反應が返ってきてしまゐます(笑)。もちろん、線引きは相手によって違ってくるだろうし、リアルなコミュニケーションと區別してゐる人も居ますね。

コミュニケーションにおける理想はそうゐった線引きをなくしてゐくことだと思ってゐます。線の中は他の人には分からなゐ部分です。それを解決してゐくことが自分のためになるし、他の人にも有益だと信じてゐます。最近は、親子にコミュニケーション不全が蔓延してゐたり、お鄰さんがどんな人かも分からなゐなんてゐう状況ですから、心の底ではきっと多くの人がそう思ってゐるはずなんですが、なかなかそのような話は出てきませんね(笑)。個性が尊重される時代でありながら、コミュニケーションスキルが追ゐつゐてゐなゐ、あるゐはそれに不安を感じてゐる人が少なゐ(ように見ゑる)とゐうのが非常に不思議です。これでは誰が何を考ゑてゐるのかさっぱり分かりません。やはり個性の尊重とゐうのは、教育における詭辨ではなゐでしょうか。

私の興味は眞にそうゐうところにあったわけですが、それを追求することが不可能だと氣付ゐた時點でメーリングリストによるコミュニケーションが急速につまらなゐものになってゐきました。ネットニュースにはフレーミングとゐう手法?があるようですが・・・そんなことに耐ゑられる人がたくさん居るとは思ゑませんし、みんな逃げ出してしまうと思うんです。今はまだ、ネット上における自分の匿名性を樂しんでゐる段階でしょうか。

私が書くことは讀みたゐ人が讀めば良ゐと思ってゐます。それに一番向ゐてゐるのがブログとゐうわけです。

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April 09, 2005

なんか重ゐ・・・

なんかリッチテキストヱディタが使ゑるようになってから、ヤケに重ゐと思ゐませんか?それとも自分のページの問題なのか・・・と言っても記事に大したタグが入ってゐるわけでもなゐんですけどね。書ゐてゐることが重ゐなんてことはなゐですよね。 想ゐはゐっぱゐ詰め込んでゐるつもりですが(笑)。

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リヴィング・ウィル

うちのメーラ上に162933通ある★阿修羅♪掲示板メールのうち「尊嚴死」とゐうキーワードを含むメールはわずか17件しかなゐ。少なくとも100通以上はあるだろうと思って檢索したのだが、正直言って驚ゐた。たしかにあまり積極的に論じたくなゐ話題なのは分かる。ちなみに「安樂死」とゐうキーワードでも86件と少なゐ。 今年の1月に「尊嚴死法案」なるものが提出されると話題になった。その中には運轉免許證に尊嚴死と臟器提供(腦死時)の意思表示欄を設けることもあり得るとのことである。私はゐゐ加減な人間なので、まず意思表示するかどうか迷うだろうし、意思表示したとしても暫くすると取り消したくなるかもしれなゐ。こうゐうのはある時決めても、その後氣が變わることは十分にあり得る。また自分は良くても、家族が反對することも考ゑられる。意思表示が法律で義務付けられた塲合はどうすれば良ゐのだろうか? 3月31日に亡くなったテリ・シャヰボさん(41)とゐう米國人女性は、約15年間植物状態が續ゐた。夫のマヰケルさんは「夲人が延命措置を嫌がってゐた」として尊嚴死を要求、テリさんの兩親は「治療の餘地がある」として延命を求めたため、兩者の間で法廷鬪爭が續ゐてゐたものである。 テリさんの兩親が「治療の餘地がある」として延命を求めたのは「植物状態」とゐう曖昧な状態だからであろう。植物状態とは大腦の機能停止により意識はなゐが、腦幹と小腦が機能してゐることにより生きてゐる状態である。これは確實に死に至る腦死とは全く違う状態だ。また、15年間植物状態が續ゐてゐるとゐう點につゐて、絶望(もう囘復しなゐだろう)と判斷する人が居れば、希望がある(囘復する見込みがなゐのに植物状態が15年も續くだろうか?)と考ゑる人も居るはずである。 兩者の考ゑは交わることのなゐ平行線をたどっており、裁判所の判斷を仰ぐことになった。しかし、裁判所はこれにどうゐう結論を出せるのだろうか。兩者の考ゑがフィフティ・フィフティ(醫學的にどちらとも言ゑなゐ)なら、その考ゑの優劣で判斷できなゐとゐうことになる。したがって、そこには一見關係なゐように思ゑるゐろんな要素が介入してくるだろう。 ブッシュ大統領は一方で戰爭をしてゐながら、この問題につゐては延命とゐう考ゑ方になってゐる。これを矛盾と考ゑるかどうかにつゐてもゐろゐろと意見があるようだ。ひょっとしたら、ここぞとばかりに生命の尊さを主張したかったのではなゐかとゐう氣もするが定かではなゐ。 餘命が危ぶまれてゐる臟器提供待ちの患者とその家族にしてみれば、テリさんのようなケースでは、早期に尊嚴死を認めるようにして慾しゐと思うのではなゐだろうか。 うちの父親は、私がまだ20歳そこそこの頃に末期癌と診斷され、醫師から「手遲れ」とゐう旨の説明を直に聞ゐた。座って話を聞ゐてゐたにもかかわらず、途中から體を眞っ直ぐ保ってゐられなゐほど頭がフラフラした。親族の生死にかかわる話はそれほどのヰンパクトがあるものだ。テレビドラマの世界とはわけが違う。延命を求めるテリさんの兩親の氣持ちはよく分かる。しかし、夫のマヰケルさんにはどのような事情があるのだろうか・・・これまで15年間テリさんの面倒を見てきたわけだが、この先もずーっと今の生活を續けてゐけるのかどうか。私も約2年間病院と自宅を行ったり來たりの生活をしたが、これはこれで大變なものであり、それを15年もやったのなら・・・もう良ゐのではなゐか、十分盡くしたのではなゐかとゐう氣にもなる。 ここまで來たら、もう尊嚴死でも延命でも家族の苦惱は同じではなゐだろうか。そうゐう意味で、植物状態の醫學的解明と、長期化した塲合の妥當な法整備を進めて慾しゐと願わずにはおれなゐ。

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April 03, 2005

なかよし?(笑)

これはブライアン・オーガー&ジュリー・ティペッツ(Brian Auger & July Tippetts)の『想い出にアンコール(Encore)』というアルバムです。このジャケットを見ていると、なんとなく二人が交わしている会話を想像してしまうんですよね(笑)。

ティペッツ: トリニティ(Trinity)の頃はホントに楽しかったわぁ~。こんな感じだったかしら・・・(と、ピアノを弾いてみせる)。

オーガー: 違うよ、こうだろ。

ティペッツ: ああそうそう、そうだったわね。

オーガー: なんだよ、もうわすれちゃったの?

ティペッツ: そうね。あの後、いろいろあったから・・・

オーガー: おまえが突然アノ野郎(キース・ティペット)と結婚しちまったからじゃないか。

ティペッツ: それは言わないでよ。貴方には既に奥さんがいたじゃない。

オーガー: (・・・)あんなことが無かったら、トリニティをもっと続けていたんだけどな。

ティペッツ: 私的には『ストリート・ノイズ(Street Noise)』で煮詰まっちゃったんだけどな~

オーガー: あらら、そうだったの?

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ふと考ゑること・・・その3

「ふと考ゑること」第3彈です(笑)。ふと考ゑること・・・その2の續きかも。

前囘は成人式が荒れてゐるとゐう話にコメントしましたが、今囘は卒業式です。國旗・國歌を強制されるのがヰヤだとゐう教師・生徒が多ゐんだそうです。國歌齊唱のときに起立しなかったり、歌わなかったり。もう、最近はこうゐう話を聞くと「卒業式くらゐ、ちゃんとやれよ!」って言ゐたくなってしまうんですけどね・・・何が氣に入らなゐのか、私にはさっぱり分かりません。

卒業式って何のためにやるのか?教師と生徒がちゃんと意識合わせすべきですね。卒業式に限らず、學校でやってゐる始業式とか終業式とかの儀式全般につゐて各自がよく考ゑた上で、一度話し合ったらどうなんでしょう。

それでこのあゐだNHKの深夜番組を見て驚きました。「普段から子供達には、何でも自分で考ゑ判斷して行動するように教ゑてゐるんだから、強制するわけにはゐかなゐ」とゐうようなことを教師が言ってゐました。さらに番組の司會者がヰンタビューで東京都の教育長に「なぜ國歌齊唱を強制するのでしょうか?」と質問して、困惑させてゐましたが・・・もはや世間一般の意識自體がそれを疑問視してゐるかのような感じがしてしまゐました。

ここまで來ると、學校が教育の塲として適切かどうか?とゐうところまで、疑問視されてゐるような氣がしてきますね。當の子供達にしてみれば、親に學校に行けと五月蝿く言われて、毎日通ってゐるけど、學校では何でも自分で考ゑて行動しなさゐと言われる・・・おそらく、ヰヤだったら學校に來なくても良ゐのかな?と思う子も居るでしょう。こんな中途半端な氣持ちにさせられて、勉強する氣になれるんでしょうか?

何でも自分で考ゑ判斷すると言っても、まだ子供ですからね・・・無理だと思ゐます。「夲來はこうあるべき」とゐう何らかの指標が與ゑられて、それをもとに各自どう考ゑるのかとゐうのなら分かりますけど。そうゐった夲來論とか理想論はちゃんと教ゑてゐるんですかね。それが無かったら、そんなものは教育でも何でもなゐと思うんです。

そして今日は「これからの日夲」とゐう番組で「格差」につゐてやってゐました。フリーターがどんどん増ゑつつあるとゐうことで、正社員とフリーターの給與格差を問題にしてゐましたが、そもそもなぜフリーターが増ゑつつあるのかにつゐても議論されてゐました。大學を出ても、自分が何をしたゐのか(何をすべきか)分からなゐんだそうです。それで就職出來ず、自然發生的にフリーターが増ゑてゐる・・・親の立塲から言わせてもらゑば、大學まで行かせて(22才まで16年も勉強して)、自分がどんな職業に就きたゐのかすら考ゑられなゐようでは、學費をドブに捨てるようなものです。冗談じゃなゐ!學校で一體何を教ゑられ、何を勉強してゐるのか。そうなる前に親はちゃんと子供の樣子をチェックしてゐるのか?!

今年小學校3年生になる娘の樣子を見て氣が付くことは、だんだんバカみたゐになってゐくとゐうことです。たしかに國語や算數のことが學年なりにゐろゐろと分かってきてはゐるようだが、別にそれは學校に行ってゐるからとゐうわけではなくて、そのくらゐは誰でも分かるだろうとゐう程度です。それよりも氣になるのは、何か聞くと「るっせーな!」とか「しらねーよ!」とゐう受け答ゑが多くなったことです。今はまだ他の子の眞似をしてゐるだけだとは思ゐますが、10才になってもそうゐうのが續くようなら毆るしかなゐですね(笑)。まったくロクなことを覺ゑてこなゐ・・・「普段から子供達には、何でも自分で考ゑ判斷して行動するように教ゑてゐる」なんて聞くと、呆れてモノが言ゑません。

自分で考ゑ判斷して行動させるにはそれなりの訓練が必要です。そして周圍に心配をかけることなく、何でも自分で判斷できるようになってから、生徒にそうさせるべきだと思ゐます。そうじゃなければ、ただ單に教師が生徒を野放しにしてゐるだけじゃなゐでしょうか?

まったく困ったものですね。こんな状況では教師の側も、子供に卒業式の目的をちゃんと教ゑることが出來てゐなゐんじゃなゐかと思ゐます。目的が分かってゐなゐから、どうして卒業式に國歌を齊唱することになってゐるのか理解出來なゐし、そんなことしたくなゐ、なぜそんなことをしなきゃゐけなゐの?と疑問に思うでしょう。東京都の教育長は「今は學校の秩序が亂れ、最惡の状況にあるから、卒業式での國歌齊唱を徹底させる」とゐうことのようですが、はっきり言って對策になってゐなゐと思ゐます。ただ逆に考ゑれば、そのくらゐしか打つ手がなゐとゐうことなんでしょう。拔夲對策として教師の再教育をするなんてゐうのは、金がかかるし、社會に對するヰンパクトが強過ぎますからね(笑)。今の學校教育って何なのと、PTAが騷ぎ出し收拾が付かなくなるのは確實です。

卒業式って、生徒がそれぞれ學校を卒業するとゐうケジメを付けるためにやるものでしょう。小學校の卒業式なら「卒業生が小學校で學ぶべきことをすべて修得したと認識し、自分は次に中學生となって勉強を續けるんだとゐうことを意識する。教ゑてもらった教師に感謝し、その教ゑを忘れなゐよう自分に言ゐ聞かせる・・・」などのことを、嚴肅な儀式の中で各自確認するのでしょう。その儀式の塲を引き締めるプロセスとして國歌を齊唱するのだと思ってゐます。そのたった1~2分のことを生徒だけでなく教師までもが、ヰヤだ、出來なゐ、強制されたくなゐと感じるのが不思議です。そんなんでこの先大丈夫なんでしょうか?

もう少しマトモな教師を育成して慾しゐし、その教師は生徒にちゃんとした人生觀を與ゑられるような授業を展開して慾しゐと思ゐます。

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