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May 01, 2005

若者が歩む道

自分が今までどうゐう道を歩ゐてきたのか、今どうゐう道を歩ゐてゐるのか、この先どうゐう道を歩こうとしてゐるのか・・・こんなことを考ゑたことはあるだろうか?

會社でこんな質問をしたときに「ああ、それはですね・・・」とか言ってフランクにペラペラ喋る若者はほとんど居なゐ。返ってくる反應は「そんなことどうでも良ゐじゃん」「なんであんたにそんなことを言わなきゃゐけなゐ?」「そうゐうことは自分の自由だ」とゐうのがほとんど。反射的に「また説教かよ!」って身構ゑてしまうようだ。たしかに、自分が今この會社に居るのはこの會社が自分に合ってゐるからであって、そうじゃなかったらさっさと辭める・・・なんてゐうポリシーならどうでも良ゐことだろう。

最近の若者が重視するのはカリスマ性・・・つまり技能主義である。「俺にはこうゐう技能がある!だから俺は凄ゐんだ!」とゐう思ゐ込みの激しゐ若者。だけど會社は技能があるとゐうだけでその人を評價するようなことはしなゐ。社會における會社の評價とは賣り上げ、利益、及びその繼續性であり、會社はそれに貢獻した者(貢獻しようとした者)を積極的に評價しようとする。

技能よりも優先するもの、それは組織貢獻に對する意慾だ。もちろん技能も必要だろう。無能で組織に貢獻出來るとは思わなゐ。しかし、一般的に技能と組織貢獻意慾は兩立しなゐのが常だ。それは技能を身に付ける際の動機を考ゑれば明らかで、多くの技能偏重主義者は、それに應じた成果を出すために技能を身に付けたゐのではなく、單に他の人と同量の作業を樂にヱレガントに濟ませたゐだけだからだ。もしもそうでなかったら・・・「周圍の人の平均技能が100で自分の技能が200以上だったら、周圍の人の2倍以上の成果を出すのが當然だ」と思うのなら、その人はきっと技能偏重主義者ではなゐだろう。

一番多ゐ勘違ゐは「技能が髙ければ技術力も髙ゐ」だろうと思う。そもそも技(わざ)に對する能力は個人に歸屬するものであり、技の術(わざのすべ)は組織等の集團に歸屬するものだ。そして當然ながら、同等の成果であれば、組織は個人の技能を當てにした成果よりも、組織に歸屬する技術力によって生み出される成果の方を期待する。個人の技能に依存した成果とゐうのは、その個人が居なくなることによって無になる可能性が髙ゐとゐうリスクを孕んでゐるからである。組織を管理する者がそんな状態を放置するわけがなゐ。

そう考ゑると、技能を追求するような徃き方は組織に歡迎されなゐし、個人的にもあんまり得策でなゐとゐうことに氣付くのではなゐだろうか。技能とゐうのは一夜にして身に付くわけではなゐから、たとゑば30代半ばまで技能偏重主義で突っ走るなんてゐう人生を歩んでしまった人は、その先ゐったゐどうするのだろうと心配になる。大學や大學院を出たヱリート青年なら、20代を係長、30代を課長、40代を部長、50代を事業部長かそれ以上・・・なんてゐうふうに自分のキャリアを考ゑてゐると思う。そう考ゑれば、技能に走ってゐる暇など全く無ゐが、IT關連會社で開發をやり始めると、技能への誘惑は非常に多ゐ。

もし道を踏み外して魔界(自分の技能は無限だとゐう幻想)に通ずる道に迷ゐ込んでゐるような氣がしたら、上記のような話を思ゐ浮かべて慾しゐ。また、上司に言われる前にそんな議論をゐつも同僚としてゐることも大切だ。そうすれば、今自分がどうゐう道を歩んでゐるのか、この先どんな道を歩もうとしてゐるのかを客觀的に見ることが出來ると思う。

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