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July 13, 2013

プログラミングの話

「もしもピアノが彈けたなら思いのすべてを歌にして君に傳えることだろう」という有名な歌の歌い出しがあるが、「もしもプログラムが書けたなら・・・」という歌はない。たいていの人はこういうプログラムがあったらなあと思うことがあっても、それを自分で書こうなどとは思わない。そんなものはプログラマにやらせておけば良いのだと考えているのだろう。

むかしは、コンサルタント、システムアナリスト、システムエンジニアなどと呼ばれる人たちはシステム開發の經驗者で、さらに元を辿るとプログラマだった。プログラマが年を取ると、プロジェクトリーダになり、さらに經驗を重ねると、營業寄りの仕事に變わるか、エンジニアのまま進むかというキャリア選擇を迎える。エンジニアのまま進む場合は、營業と組んでエンドユーザの要望を聞き、開發よりもさらに上流のシステム提案をするようになる。

最近では、コンサルタントやアナリストという役割が明確になり、開發經驗はなくても資格を取れば、そういう肩書きを名乘れるようになった。おかげで私の周りにはプログラムを全く書いたことがないSEがたくさん居る。彼らは、要望を聞いてそれに對應出來るベンダを選定し、提案書と見積書を作らせて、エンドユーザにそれを提示する、受注したらベンダが構築するのを監督し、完成したら納品する・・・という一連の作業を正確にこなす。それに要するスキルとしては、そのような作業を實施するのに必要な經驗や技術よりも、内部統制や法令順守に關するものの方が多い。要するに實務經驗の有無などどうでも良いし、ましてプログラムが書けるかどうかなど完全に議論の對象外となっている。

このような狀況は、2000年問題の頃から言われている「深刻なSE不足」という問題から始まっていると思われる。システム開發などの實務經驗がなくてもSEが務まるようにするにはどうすれば良いのか。そういう逆轉の發想の元に、システム開發の業務やフローが規定されるようになった。

氣になるのは、システム開發におけるリスクの考え方だと思う。たとえば、下請けベンダが100萬圓で見積を出してきたときに、リスクを取りたいからベンダに20萬圓下げろと言う。ベンダは仕方なく積んでいたリスクを削って、80萬圓の見積に修正してきたとする。これならリスクを積んでいるのがベンダから元請に移っただけだから、エンドユーザにとってはプラマイゼロだと思われるかもしれないが實際は違う。これによって、ベンダは見積書に明示していること以外一切出來ないと態度を硬くしてしまう。實はこれが最も大きなリスクなのだが、にわか仕込みのSEにそんなことが分かるはずがない。なんでもかんでもベンダの言い値でやれば良いというものではないが、ベンダの立場で言えば儲からない仕事をしているのは、自分が惡いわけでもないのに社内で冷遇されるなど非常に嫌なことなのだ。嫌な仕事になれば、やる氣は失せ、ことごとく負のスパイラルに入っていく。こんな案件が良い結果で終わることはない。

そのあたりの機微が分かるSEを育てる必要がある。エンドユーザに媚びるばかりのSEでは上手く行かない。それにはやはり開發經驗は必要であり、そのためにプログラミングに無關心では居られないのだ。

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