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August 31, 2013

原發反對

今日も關電ビルの前で原發反對の集會をやっていました。金曜日の夕方、得意先の對應が終わって引き上げるときに必ずやっているようです。ただ、私から見るとホントに原發に反對している人の眞摯さというものが感じられません。まして關電の關係者から見たら、ヒッピーが騷いでいるくらいにしか見えないんじゃないでしょうか。

私は原發に反對する人を批判したいわけではありません。今ある原發を今から全部止めるのであれば、日本に大量にある核廢棄物をどうすれば良いのかについても、同時に考えるべきじゃないでしょうか。そして核に代わるエネルギーを考えなければなりません。そうしなければ、必要なエネルギーを海外に依存することになり、他の國の何倍も高く天然ガスを買わされることになるのです。そしてそれが止められたら、日本の經濟は成り立たなくなります。

原發をやめて電氣が無くなるのなら江戸時代のような生活に戾ろう!と主張している人も居るようですが、それについてくる人が居るでしょうか。個人的にはそういう生活に戾れても、社會全體が江戸時代に戾るなんてあり得ないと思います。原發を止めるなら、代わりになるエネルギーを海外に全面依存する必要が無い程度に確立し、核廢棄物の處理に見通しを付けるくらいは最低限必要です。原發を止めても火力發電で十分足りると言っているだけでは世の中は變わりません。

まあある意味、戰爭反對というのと似ていると思います。反對すれば止まるものではありません。反對されたらやらないという性質のものじゃないからです。原發をやめて自然エネルギーに轉換した國でも、お鄰の國から原發の電氣を買っているという事實もあります。ホントに原發を止めたいのであれば、世の中を根本から變えるほどのパワーが必要だと思います。

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August 24, 2013

日数計算プログラム

「elisp 日数計算」でググっても、emacsのカレンダー機能の使い方しか出てこなかったので、誰も書いたことないわけじゃないとは思いますが、最近こんな関数を書いたので載せておきます。長期間のアクセス平均とか計算するときに使えるかもしれません。


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で、よく調べたらdays-betweenという標準関数があったのでした・・・。


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August 23, 2013

日別連番付与プログラム(2)

まだこっちの方がマシかな・・・。


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August 15, 2013

日別連番付与プログラム

あるきっかけで日別連番付与プログラムを書いてみたのだが・・・こんなにたくさん書かないと出来ないのか、ちょっと疑問。bangouというリスト中にある""を見つけて日別連番を付与する。連番付与の仕様は既にふられている番号の最大値に1を足したものとしている。これだとbangouリストの具合によっては連番に空番が出来てしまう。もちろん空番を埋める仕様にするのは簡単だ。これは連番にどういう意味を持たせるかによって変わるのだろう。


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August 13, 2013

KAZUYA Channel

私は面白いなあと思いました。でも、チャンネル登録はしません。というか、Youtubeに常時ログインはしませんので、チャンネル登録とか無意味ですね。




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August 11, 2013

モバイルってそんなに気持ち良いか?

通勤途上でスマホを見たりイジったりしている人は多い。ゲームをやっている人、音樂を聞いている人、メールをやっている人、その他の通信系アプリを使っている人・・・さまざまである。たいていの人は覗き込んでも讀めないくらい小さな文字表示にしているので、暇さえあればスマホの畫面を見ている若い人は、將來若年性老眼になるのではないかと思うし、ただでさえ寢不足なのに加えて、始業前に目を痛めつけるのは良くないのではないかと思うが、當人たちにしてみれば餘計なお世話なのだろう。

いつ頃から始まったか覺えていないが、2000年になるちょっと前くらいから、ノートPCに攜帶をつないで會社のネットワークにログインしメールの讀み書きをするのが流行りだしていた。私はそれまでメールはUNIXマシン上でしかやったことがなかったので、最初はその仕組みがよく分からなかったが、周圍では既にそれが主流であるかのようにやっていたので、何となく自分だけ時代から取り殘されてしまったような氣分になった記憶がある。長く客先に常駐しているとそんな目に遭うものだ。

そういったモバイル環境が充實し自分にもそのお鉢が囘ってくるようになると、ワーキングタイムとプライベートタイムの境界が曖昧になり、體調不良で會社を休んだのに家で仕事をしていたり、會社で殘業していても「殘りは家でも出來るからさっさと歸ろう」と考えたり、これなら在宅勤務も可能なのにどうしてそうならないのか疑問を感じたり、妙なことがいろいろと起きるようになった。つまり、モバイルはサラリーマンの感覺を狂わせるのである。

ポケベルを含め攜帶電話がなかった頃は、何か急用が發生しても會社に居なければ連絡することは出來なかった。そのために自宅の電話番號を緊急連絡先として管理してはいるものの、そんなものは使われたためしがなかった。攜帶電話が普及して世の中の動きが多少速くなったような氣がする。用があれば攜帶に電話したりメールしたり出來るんだからアフターファイブに安心して酒を飮めると喜んだ管理職は多いかもしれない。また既に以前からPUSHメールと言って、會社のメアドにメールが屆くと攜帶に轉送することも出來るようになっている。

こうして世の中は電波が屆くところに居る限り、どんどん仕事が追いかけて來るようになったが、プライベートタイムに攜帶に連絡をもらって大助かりしたことはほとんどない。おそらく大部分の人がそうだろうと思う。攜帶がなかった頃なら、土日に何か事件が發生しても會社に連絡するのは月曜日で良かったし、それで問題になることもなかった。休みの日に氣を利かして電話をすると「それって今連絡しないといけなかった?」と言われることがある。要するに攜帶電話は持ってるけど、いつでも電話してくれて良いよという人が居れば、急用でもないのにイチイチ電話してくるな!と怒る人も居るということだ。それにしても、連絡の内容が今すぐ必要かどうかなんて受ける側にしか分からないことなのに、今じゃなくても良かったというのは理不盡じゃないだろうか。

便利が仇になることが多い。攜帶に電話しない神に祟りなし・・・か。

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August 07, 2013

事實と現實

「事實」と「現實」という似てはいるが全く意味が違う2つの言葉がある。しかし、この2つをちゃんと區別している人はそれほど多いとは思えない。それは會社などで同僚たちと雜談しているとよく分かる。

ほとんど場合、世の中では事實は隱蔽されていて、結果だけが現實として人の目に映るようになっている。つまり、事實とは自然で妥當な流れ、または誰かが期待する結果を作り出すための隱れた營み、もしくは茶番劇ないしは詐欺行爲ということになるが、多くの人はテレビや新聞の報道内容が事實だと思っている。それはごく當たり前のことで、そういう人たちにとってはそれら以外に事實として認識可能な情報がないのである。

假にテレビや新聞が明朝からしばらくの閒、世の中で起きている事實について、重要なものから優先的に報道したらどうなるだろうか。おそらく現實とのギャップが大きいものから問い合わせが殺到することになるだろう。あるいは、わけの分からないニュースや記事のせいで、テレビのニュースを見る人、新聞を買って讀む人が居なくなってしまうだろう。それで一般の人がとくに困ることはない。私はこの十數年家族が居るときはテレビを見たことがないし、新聞も數年來讀んでいないが、インタネットのおかげでとくに會社でもプライベートでも困ったことはない。困るのはテレビや新聞とその廣告主、そしてそれらのメディアを陰でコントロールする連中だ。

そもそも事實と現實の關係がそうなっている以上、メディアがいくら事實を忠實に傳えようとしても受け手がそれを拒否する場合があるということである。であれば、メディアは誰に言われなくても現實の流れに忠實に報道せざるを得なくなるのだ。

身近な一例として、日本人は自國にエネルギー資源が全くないと小學校の社會科で敎わり、その後社會人になってもそれに一點の疑義も差し挾むことなく過ごしてきた。しかし、最近日本の近海にはメタンハイドレートをはじめとするエネルギー資源が豐富にあることが事實として分かってきている。そうなると、學校では長い閒に渡って現實をあたかも事實であるかのように敎えてきたのか?ということになるし、明らかに日本にはエネルギー資源がないということにしておきたい人が居ることになる。

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August 02, 2013

気が小さい人

ここで話題にする氣が小さい人というのは、いつも首をすくめて怖くて何も出來ない臆病者とは違います。見た感じは普通の人であり、やることなすこと普通の人と何ら變わらないというよりは、どちらかというと大膽な行動をとっているように見えることの方が多いかもしれません。でも、そういう人の中には明らかに氣が小さい人が混じっています。

ある意味、如何にも臆病者のように見える人というのは、自分は臆病者なんだから仕方がないと開き直っている圖太い人とも言えるのです。しかし氣が小さい人は、もしも自分が臆病者だと思われたらどうしようと不安で不安でしょうがないのです。だから虛勢を張ってでもそう見られないように行動します。

氣が小さい人は、世渡り上手だし、人付き合いも上手だし、信賴されていることが多いと思います。それは當然で、そうでなければ生きていけないほど氣が小さいのです。中には、自分が周圍から高評價を受けていることに氣付いていない人も居ます。氣が小さいのでそんな優越感に浸っている餘裕などありません。

氣が小さい人かどうかを見分ける方法があります。その人が何か失敗したときの樣子をよく觀察してください。たいてい、失敗しても自分が惡いとは思いません。極端な人になると、何かを落として壞してしまったときでさえ自分が惡いとは思わずに、手が滑ったとか、何かにつまづいたとか、別に大したことないように言い繕って誤魔化そうとします。氣が小さいので、自分が惡いと認めることが出來ないのです。それを認めてしまったら落ち込んで何も出來なくなってしまうことを自覺しているからです。

私はグズで鈍感な人なので、氣が小さい人から見るとイラっとするだろうし、たいていの場合、氣が小さい人からは見下されていると思いますが、そんなことは別にどうでも良いのです。常に虛勢を張って生きるより、ドーンと構えて自分の好きなことをしている方が性に合っていると思うからです。

周圍に氣が小さい人が居たら、いたわってあげてください。

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