« October 2014 | Main | December 2015 »

August 15, 2015

戰後70年、いまだ納得いかないこと多々あり

保守系の言論人たちはよく「もういい加減『戰後』というのはやめないか?」とか「戰後70年談話って一體いつまで戰後XX年談話を續けるつもり?」という言い方をするが、誰がどう考えても今の世の中は第二次世界大戰後の枠組みで動いている。それを踏まえないで何を議論しても、前提が定まらず空囘りするばかりだ。

呑氣な平和主義者たちは國連を中立的な機關のように言うが、これだって第二次世界大戰の戰勝國側の枠組みであり、當然のことながら戰勝國の利害だけで動いている。したがって、たとえば日本が領土問題解決のために、いくら望んでも、いくら金錢的貢獻が大きくても常任理事國にはなれない。假になれるとすれば、1943年の大東亞共同宣言を覆し、歐米や中國などとともにアフリカ、中東、アジアの國々を食い物にする野蠻な國に成り下がってでも...ということになるのだろう。

古くは「朝まで生テレビ」に始まり、ここ數年で言えば櫻、AJER、DHCTHEATERなどの討論番組を貪るように視聽してきたが、いつも肝心なところに話が行く前に終わってしまう。討論なのだから結論が出ないのは仕方がないのかもしれないが、もうそろそろ日本が今のままで良いのか、良くないとすればどういう國になるべきかという包括的な議論が煮詰まっていても良い時期じゃないだろうか?そうしなければ、今後100年經過してもまだ「村山談話はまずかった」とか「河野談話のせいだ」という話に終始し、一步も前進出來ないだろう。

まだ決着がついていない安保法案も、一體何を議論しているのか疑問だらけだ。戰爭になると言って反對している集團は全く話にもならないが、今囘の安保法案が成立したとしてどういう問題が解決するのだろう?中國が執拗にちょっかいを出している尖閣諸島周邊の情勢が安定するのか?拉致被害者が歸ってくるのか?竹島や北方領土が返ってくるのか?それを橫に置いて、ホルムズ海峽の機雷掃海の話なんかしている場合ではない。

では、日本がそれらの問題を解決できるよう、憲法を含めた法整備すれば良いではないかと考えるわけだが、もし今囘の安保法制をきっかけにそれが出來るのだとしたら、なぜ今までやってこなかったのかということになるだろう。つまり、日本が主權を囘復した1952年以降の63年閒、政治家や官僚は何を考えていたのか?ということだ。

しかし政治家や官僚が63年もの閒、ただ手をこまねいて自主憲法制定を怠り、國軍を復活させず、中國や韓國から好き放題、賠償や謝罪を要求されるがままにしてきたわけではないだろう。この部分については、タブー無しの自由な言論空閒であっても保守系言論人があまり積極的に斷言しようとしない話がいくつかある。ただ、これは言われなくてもほとんどの日本人が感覺的に分かっていることではないか?

霸權を握る者は、過去の惡事(植民地政策、有色人種の大量殺戮と奴隸化)に文句を言わせないように出來る。代わりに日本を世界一の惡者(朝鮮侵畧、南京大虐殺、從軍慰安婦、眞珠灣攻擊など)に仕立て上げようとする。これに日本人がいかなる反論をしようと無駄だ。世の中は戰爭に勝ち、霸權を握った者が正義になる。これを覆すには今のところ霸權を奪う以外に方法はないだろうが、殘念ながら日本がそんなことはしないこと(大東亞共同宣言の精神を貫くこと)を彼らはよく知っている。

日本と中國、朝鮮の關係が良くなる見込みはない。それは霸權國が分割統治を基本政策にしているからだ。鄰國同士を仲良くさせてはならない。それを許せば霸權を搖るがす事態に發展していく。そのため、霸權を握る者は世界各地に工作員を潛入させ、選擧に介入し、制御可能な政治家を選び、官僚や學者を洗腦し、鄰國との閒に關係惡化の種を撒き散らす。

韓國の反日活動はあまり深刻な問題ではない。今まで韓國が騷ぐと日本が援助や謝罪をしてきているが、それは日韓基本條約で終わっているはずである。しかしいまだに韓國が騷いでいるのは、既に終わっているはずなのに、ちょっとつつくとまた謝罪するので、自分たち自身もまだ終わっていないという認識なのか?と攻められているだけのことだ。戰畧的互惠關係とかいう變な言葉を使わずに、對等の關係(利害が一致する關係)を貫けば良いのである。まあ、日本から竹島を畧奪した國なので簡單に仲良く出來るとは思えないが。

日本がかつての大東亞共同宣言を尊重し、それを貫いて成し遂げる方向に進むのか?今暴走氣味の中國のように連合國の枠組みに同化するのか?それとも今のままの煮え切らない狀態を維持するのか?その三擇のような氣がする。今のままの日本が平和で一番良いとか言っていると、近い將來日本という國が無くなってしまうのではないかと思われる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 02, 2015

日本の安全保障問題に關する雜感(2)

日本人の戰爭に對する認識は70年前から全く變わっていないと言われている。なので、當然の如く國家安全保障に關する認識も變わっていない。戰爭をすれば强い國が勝ち、弱い國は負ける。そして勝った國も負けた國も多くの犧牲者を出し、とくに負けた國は多くの人が悲しみ、二度と戰爭を起こしてはならないと考える。70年前の戰爭以降變わったのは、全てではないかもしれないが、勝った國が負けた國を植民地に出來なくなったということであろう。なぜそうなったのか?おそらく歐米は、日本人の戰い方に恐れをなしたと考えれば分かりやすい。もしそうでなければ、日本國憲法に永久戰爭放棄のような文言は不要だ。

日本はあの戰爭で米國を相手にどんな戰いをしたのか。あの宇宙戰艦ヤマトというアニメを思い浮かべてみると良い。ガミラスという巨大な宇宙國家を相手に、たった一隻の宇宙戰艦で未知の戰鬭に挑んでいき、どれほどの窮地に追い込まれても決死の覺悟で勝機を見出し、多くの戰いの末イスカンダルから放射能除去裝置を持ち歸った。これこそが日本人の心意氣であり、歐米人はそれを思い知らされている。結果的に日本は降伏したが、それは昭和天皇が原爆による市民への無差別攻擊に言及し、これ以上犧牲者が出たら日本が滅んでしまうと、終戰の詔敕で述べたからである。それがなければ、日本軍は決して投降することなく全員死ぬまで戰い續けたのではなかろうか。

歐米人はもともと相手國を滅ぼそうとして戰爭をしているのではない。ただ、自分たちが樂をして生活していけるよう、代わりに働いて貢いでくれる國を求めているだけなので、兵器を使って攻めてはいても相手國が滅んでしまっては困るのだ。しかし、日本のように他國の侵畧に徹底的に抵抗し、最後の一人になっても負けを認めようとしないような戰い方を目の當たりにして、もう弱い國を植民地にして搾取するような政策が通用しないことを悟ったのではなかろうか。つまり、日本人は歐米人とは違うのだということを知ったのだ。そして、その後米國は戰爭に勝てなくなった。彼らの戰爭は、自分たち白人が他の有色人種のように齷齪働かなくても良いよう、他國を從わせることが目的なのに對し、攻められる側はそんなことのために戰爭で多くの犧牲を出し、負けたら從わなければならなくなるので、徹底的に抵抗するようになった。朝鮮戰爭、ベトナム戰爭、アフガン戰爭はそういう戰爭ではなかったか。もしかしたら、それには日本の戰い方が影響しているのかもしれないし、そもそも樂をしたいからという理由で攻め込んでいるので、强大な軍備を見せつけても樂に勝てないと分かるとギリギリまで消耗するような持久戰をするわけがない。

逆に考えれば、日本は自國を守るためにはそういう戰い方をする國であり、戰爭になったら70年前と同樣の消耗戰になると誰でも想像してしまうだろう。なので、安保法制推進側が別に戰爭したいわけじゃないとか、徵兵制をしてにわか軍隊を作っても現在のハイテク戰鬭では使いものにならないと、いくら說得しても多くの國民を納得させるにはかなりの時閒を要するだろう。つまり、そうじゃないと言うならそれは日本という國をやめて、歐米と同じように考え、狩獵民族のような發想で戰爭する國になるということではないだろうか。

そのように考えると、今囘の安保法制でこれほど抵抗があるということは、憲法改正とくに九條の改正は相當ハードルが高いのではないかと思われる。おそらく日本は集團自衞には向いていない。自國は自分で守る方が日本人には合っているし、いざとなれば誰に言われなくてもそうするだろう。これは何も、戰後敎育やWGIPによる洗腦だけではなく、日本人が自ら選んで步んできた道だと思われる。

歐米のみならず、韓國や中國が日本にちょっかいを出してくるのは、何をすれば日本が怒るかを常に把握するためであろうと思われる。それほど日本は周圍から恐れられているのだ。それを解消したければ、過去の日本のイメージを拂拭し、たまには歐米人とつるんで惡いことをしたり、中國に向かって誤砲と稱してミサイルを發射するくらいの國にならなければ、根本的な解決はむずかしいのではないかと思われる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

日本の安全保障問題に關する雜感

安全保障とは讀んで字の如く、國民の安全を保障するための國家の行動を總稱するものだと思う。今世閒で騷がれているのは安全保障のための法整備についてだが、國民の安全を保障するための議論をし、安全保障に必要な法整備をしようとしているのに、それに反對している人がいる。ものすごく單純に考えれば、國家が國民の安全を保障するための法律を作ろうとしているのに、それに反對するということは、安全なんて要らないということなのだろうか?と疑いたくなる。

反對している人の意見で最も多そうに見えるのは「今囘の安保法制が可決されると日本は戰爭をする國になる」ということらしい。國家の安全を保障する方法として戰爭をする國になるしかないのであれば、それもやむなしというのが私の基本的な考え方である。私個人がどのような意見を持ち、それを主張しても、日本を他國から守るために軍隊を持ち、戰爭をするしかないのであれば、そうするしかないのだ。それよりももっと良い方法があるのであれば、それを實施すれば良い。

安保法制を推進する立場の人たち、すなわち與黨、政府、保守系言論人たちは、ここに過剩反應する。別に日本を戰爭する國にしようとしているわけではない!と。しかし冷靜に考えてみれば、この安保法制がなされる前と後を比較すると、日本は明らかに戰爭が出來る國に近づくだろう。だとすれば、日本を戰爭する國にしたいわけじゃないなどといくら叫んでも、效果はないし納得も得られない。左翼、護憲團體、共產主義などの活動家や言論人に對しては完全に逆效果であり、ある意味エサを與えるようなものだと言える。

日本は第二次世界大戰に敗れ、主權を失っている最中に日本國憲法を制定され、武裝解除し、他國に對する交戰權を放棄した。そしてサンフランシスコ講和條約により日本は主權を囘復したが、米軍はそのまま日本に駐留した。これは何も日本を守るためではなく、當時の主にソ連に對する米國の軍事フォーメーションである。しかし、主權を囘復した國にあたかもそこが軍事據點であるかのごとく基地があり、軍隊が大勢いるのはおかしいので、それを日米軍事同盟という名のもとに正當化した。さらに、朝鮮戰爭が始まると基地が手薄になるというので警察豫備隊(自衞隊)を作らされ、憲法に謳った武裝解除、交戰放棄の精神はあっさり解釋變更された。つまり、日本の憲法に何が書かれているかより、目の前の戰爭に對應することを優先されてしまったのだ。

戰勝國は敗戰國の法律を變えてはいけないという國際法を破ってまで、米國をはじめとする連合國側が日本の憲法を制定しておいて、都合が惡くなるとそんな經緯はコロッと忘れて好きなようにされてしまうのだから、他國からは、日本に主權があるようには見えないし、日本人はそういうことを氣にしない國民なのだろうと思われても不思議ではない。ここまで書いてきて、日本はまるで世界の中のいじめられっ子であり、またそうと氣付かれないよう完全に外堀を埋められ、スパイ活動、情報操作・統制などの工作活動され放題、二言目には資源脅迫を受け續けてきた。

このような狀況下にあって、冒頭に書いたように日本の安全保障を今よりも良くしようとする法整備を進めると、日本の平和が失われるかのごとく騷ぐ人がいるというのはどういうことなのだろうか?

冷靜に考えれば、安保法制を進めたい保守系の人たちは、舊連合國がこれまで日本に仕掛けてきた作戰・工作が不當かつ不平等、これでは國家の體を成していないと考えており、そうでない人たちは舊連合國の言いなりになっていなければ日本の平和を維持出來ないと考えている、という非常に皮肉な構造になっているということにならないだろうか。つまり安保反對の人たちは、突き詰めれば他國と角付き合わせた對等な關係を目指し、それを成し得たときに日本の平和や安全は失われるということを、無意識のうちに想像しているのではないのだろうか。

しかし眞實は、日本が戰爭をしない國だから平和なのではない。また、戰爭する國になるから平和でなくなるわけでもない。そのような單純な對立によって世の中が動き、成り立っているのではない。常にそういった相對する考えがいくつもぶつかり合い、他國からの工作活動・洗腦も含め、多くの要素を勘案したうえでより良い結論を出し、それを一旦は肯定して行動し、問題があれば考え直す...という一見非效率な營みによって、結果的に日本は個々にいくつかの問題を抱えながらもある程度平和な狀態を維持してきた。恐れるべきは、對立する考えが全くぶつかり合うことなく物事が決まり突き進んでいくことであろう。

確かに、北朝鮮拉致被害者を取り返しに行けない國が平和でマトモな國なのか?という喫緊の問題はある。しかし、拉致被害者を取り返しに行ける國になったら、今度は自衞隊(日本軍?)や國民に犧牲者が出るかもしれないという別の問題が懸念される。これは安全保障をどうすれば良いかと考えるだけでなく、日本はどういう國になりたいのかという點が問われているのだろうと思う。つまり、他國からのテロ行爲を甘んじて受けることにより犧牲者を出しても良しとするのか、それとも、他國からのテロ行爲に對抗するために犧牲者を出すことを許容するのか。これはどちらが犧牲が大きいかと短絡的に考える前に、そもそも日本はどういう國になりたいか、どういう國でありたいか、どういう國であるべきかなどについて、國民全體の議論を速やかに廣く深める必要があると思われる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« October 2014 | Main | December 2015 »