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January 19, 2017

人工知能症候群

この1ヶ月ほど人工知能についていくつか與太郞ツイートしていた。プロフィールに書いているとおり自分のツイートの8割は冗談、2割くらいは自己主張という感じか。その閒に同時竝行でどんどん出てくる周圍の人のツイートのほとんどは樂觀論、待望論、ニュースの引用ばかりであり、これじゃあ冗談にもならないくらい前提や認識が自分とかけ離れているなと思った。

まず一番理解に苦しむのが、人工知能によってこれまで人閒が擔って來た職の一部が奪われる、ということに關する樂觀的な雰圍氣である。自分個人の感覺では、職を奪われたら明日からどうやって生きていくのかと眞劍に惱むところだが、彼らはそうではない。仕事をしなくて良くなるなら萬々歲だという感覺なのだ。人工知能が代わりに働くというなら、ノホホンとしていられるのか?人工知能ではなくて、自分よりも優秀な人閒が自分の職を奪うとしたら、それでもあっけらかんとしていられるのか?誰が奪おうが、自分の職が無くなることに變わりはないのだとしたら、少しは焦るのではないか?

もう少し現實的に考えた方が良いと思う。今居る會社の社員がある日を境にすべて人工知能(を搭載したロボット)になり、それに伴って人閒はすべて辭職するなんてことがあり得るのかどうか。たとえば、少しはリアリティがあるケースとして、社長と10人の社員が居る運送會社があったとする。その會社のドライバーが全員同時に人工知能に置き換わるのは非常に考えにくい。最良のケースでも一度に置き換わるのは半分だろう。そうなったとき、人閒社員は誰が殘り、誰が會社を去るのか?それは人工知能vs人閒ではなく、人閒vs人閒の構圖ではないのか?その時會社に殘るのは、閒違いなく10人の人閒の中で優秀な5人になるだろう。

そして、10人のうち會社を去る5人がそのまま潔くプー太郞になるのか、それともいくつかの會社の閒で玉突き的に人が異動するのか、會社によって事情は樣々だろう。いずれにしても、人工知能が人閒の職を奪う時、人閒同士の熾烈な(醜い?)生き殘り合戰が展開されるのではないか?というのが私のイメージである。それでも樂觀的でいられるのかどうか。

人閒も生物のひとつである。世の中に居る生物で遊んで暮らしているものがあるだろうか。形は違っても、生きる糧を得るためにどんな生物でも必死に活動しているのだ。そこらに居る野良ネコでさえ、遊んで生きているのではない。生きる糧が得られなければ生きていけないというのが自然の攝理である。人閒も例外ではない。

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