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March 06, 2017

メモ:イジメ

あるテレビ番組を見て、久しぶりに「イジメ」について少し眞面目に考えてみた。が、それをどうしたら解決できるか分かったわけではない。というより、そんなことを考えても無駄だという氣がしてきた。

何の意圖もなく不意に發した自身の言葉が、相手を地獄の底に叩き込むことがある。かと思えば、渾身の嫌味を込めて放った罵詈雜言でも、相手は微動だにしないこともある。

とくに意地惡をしているつもりはないのに、意地惡されている、イジメられていると感じる人が居る。つまり、時と場合と兩者の關係性によって、イジメになったりならなかったりする。それを一體どうしろというのだろうか。

そもそも、ある人閒關係がイジメに見えるのは、それを正面から受け止め、抵抗することをやめてしまっている場合である。ほとんどの場合は、それを不當と思えば言い返すか抵抗くらいはするだろう。そして、その場は何事もなく終わってしまう。

人閒以外の動物の世界では、弱い者は潰される。場合によっては殺される。それによって强い者が殘り、命が受け繼がれていく。より强い者が子孫を殘すから、その種は繼續出來る。そういう世界から見れば、弱きを助け、强きを挫くなどというのは戲言でしかない。弱い者ばかりになれば、その種は滅びる。すべての地球上の生物はその原理原則に從って存在している。

人閒も例外ではない。誰かに怒鳴られただけでシュンとなり、飯も喉を通らなくなるような弱者ばかりになれば、たとえ食物連鎖の頂點に居るとされる人閒であっても、早晚他の種または他の生物に殺され、滅ぼされていくだろう。それを救濟してくれるものなどありはしない。

たぶんつづく。

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