August 02, 2013

気が小さい人

ここで話題にする氣が小さい人というのは、いつも首をすくめて怖くて何も出來ない臆病者とは違います。見た感じは普通の人であり、やることなすこと普通の人と何ら變わらないというよりは、どちらかというと大膽な行動をとっているように見えることの方が多いかもしれません。でも、そういう人の中には明らかに氣が小さい人が混じっています。

ある意味、如何にも臆病者のように見える人というのは、自分は臆病者なんだから仕方がないと開き直っている圖太い人とも言えるのです。しかし氣が小さい人は、もしも自分が臆病者だと思われたらどうしようと不安で不安でしょうがないのです。だから虛勢を張ってでもそう見られないように行動します。

氣が小さい人は、世渡り上手だし、人付き合いも上手だし、信賴されていることが多いと思います。それは當然で、そうでなければ生きていけないほど氣が小さいのです。中には、自分が周圍から高評價を受けていることに氣付いていない人も居ます。氣が小さいのでそんな優越感に浸っている餘裕などありません。

氣が小さい人かどうかを見分ける方法があります。その人が何か失敗したときの樣子をよく觀察してください。たいてい、失敗しても自分が惡いとは思いません。極端な人になると、何かを落として壞してしまったときでさえ自分が惡いとは思わずに、手が滑ったとか、何かにつまづいたとか、別に大したことないように言い繕って誤魔化そうとします。氣が小さいので、自分が惡いと認めることが出來ないのです。それを認めてしまったら落ち込んで何も出來なくなってしまうことを自覺しているからです。

私はグズで鈍感な人なので、氣が小さい人から見るとイラっとするだろうし、たいていの場合、氣が小さい人からは見下されていると思いますが、そんなことは別にどうでも良いのです。常に虛勢を張って生きるより、ドーンと構えて自分の好きなことをしている方が性に合っていると思うからです。

周圍に氣が小さい人が居たら、いたわってあげてください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 28, 2013

日本人の誇りを失わないために

日本人の誇りを失わないためにこの動画をご覧ください。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 09, 2013

食べ物の話(2)

子供の頃の母親の口癖は「ご飯モノを食べやあ」だったと思う。

外食してメニューに惱んでいるとよくそう言われた記憶がある。だが、何となくその場の解決策としてそう言っているのではなく、いつも口癖のように聞こえた。これはおそらく祖母の口癖だったんだろうと想像している。ついでに、困った口癖が「ほかったった(捨ててやった)」だった。これも祖母の口癖を受け繼いでいるらしく、私が何かを大事なものを探しているとよく言われた。しかし、今にして思うと非常に便利な言葉だと思う。こう言えばもう探す必要はなくなるからだ。言われた方は怒り心頭でも、捨てられてしまったものはどうしようもない。そしてしばらく經つと「これ出てきた」と笑っている。そんな母親だったので、子供の頃からよく面と向かって批判したものだ。そしてその都度、パワーでねじ伏せられた。

母親の話ばかりになるが、子供の頃はよく腐ったものを食べさせられた記憶がある。母親はそういうものを食べても何ともないか、少し腹が痛くなる程度だったらしいが、こっちはそんなものに耐性があるはずもなく、あとで大變な目に遭っている。そしてそういうときにいつも言われたことは「腐ったものでも承知で食べれば何ともない」だった。當時は全然理解出來なかったが、要するに氣合で食え!ということなんだろうと思う。

子供の頃のそういう食生活は、外出すると腹痛を起こしたり、氣分を惡くしたり、熱を出したり、ということにつながった氣がするし、外出すると體調を崩すというトラウマは今でも少なからずある。

こんなことを書くと、とんでもない親だね!って言う人も居るかもしれないけど、戰爭中に生まれた人は多かれ少なかれそんな感じではないかと思うし、私と同年代の人ならそういう經驗をしている人は居ると思う。たしかに戰爭中に比べたら、今は夢のような世の中かもしれないけど、親と子の閒には埋めようのない世代ギャップがあるということをもう少し考えて慾しかった氣がする。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 08, 2013

食べ物の話

食べ物の話で眞っ先に思い出すのは・・・まだ新米社員の頃、現場で晝食を食べることになり、メニューに惱んでいて先輩に怒られたことだ。「おまえのために、みんなが待ってるんだぞ!」これを聞いて、ハッと我に返り「同じものをお願いします」と言った記憶がある。と同時に、そういうことを敎えてくれなかった親に少し恨みを感じた。うちの親は躾には嚴しかったが、集團行動の機微のようなものはほとんど敎えられなかった氣がする。

うちは子供の頃から外食することが多かったので、それなりにいろんなノウハウが自然と身に付いた。ここの店ではこういうものは美味しくないとか、これは時閒がかかるとか・・・一番強烈だったのは親が食べたいものしか注文出來ないということだった。なんで自分が食べるものを親に決められないといけないのか。でも、大人になって思い返すと、親の言うことに閒違いは無かったし、殘したときに食べてあげられるものを注文して慾しいと思うのが當然だ。そして殘し方がおかしいとよく怒られた。おかずだけ食べてしまってご飯だけ殘すなんてことは許されなかった。でも、それはちゃんと理由を話してくれれば、すぐに納得出來るようなことなのに、そういう話は無くて、とにかくよく怒られた。

そう、とにかく子供の頃はなんで怒られているのか分からないことが多かった氣がする。理由を言わないで怒ると言うのは、今にしてみれば理解出來る。ホントにすり込みたい重要なことは、頭ごなしに怒るしかないのだ。そうすると子供は腹が立ち、あれは何だったのか?とイヤでも惱むことになり、それは後々まで身體に染み付くことになるのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 18, 2006

悪とモチベーション

私も最近は仕事で契約関係やカネ勘定を少しカジルようになって、いろいろ思うことがたくさんあるのだが・・・そのテの仕事というのは悪に染まらないと出来ないような気がしている。今日は国会で耐震構造偽造問題の証人喚問をやっていたが、そういうことに走ってしまった真の原因や、深層心理って何だったんだろうと考えると、人間の限界のようなものが見えてくる。とにかくカネ勘定に関わると真っ当な神経というか、真面目に考えていたんじゃあとてもやっていられない。だけど、あんまり悪いことをやると法に触れて手が後ろに回ってしまうので、むずかしいことこの上ない。人間誰でも、一生懸命働いて、成果を認められて、昇進して、イイ歳になったら部下に仕事を任せて楽したい・・・なんてことを漠然と考えるのだろうが、部下に仕事を任せて楽が出来るのはワルだけだ(笑)。真面目な人だったら、部下になかなか任せられないだろうし、任せたら任せたで心配でしょうがないというのが普通の人の心理じゃないだろうか。ワルだったら、部下が失敗しそうになったら、あるいは最悪失敗したらどうするかまでをちゃんと考えている。体裁よく言えばリスク管理ってことなんだろうが、私には非情の世界にしか見えない・・・う〜ん、なんか上手くまとまらない(笑)。簡単に言えば、ワルいことをしたり考えたりしても良いというのが、モチベーション維持に不可欠じゃないかと思うのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 15, 2005

サヰボーグの時代

あと數年でサヰボーグ技術が一般化するらしゐ・・・子供の頃のサヰボーグのヰメージとは腦だけが人間のもので、殘りはすべて機械とゐうものである。そんな夢のような話が現實になりつつある。それを11月5日のNHKスペシャルが取り上げてゐた。これぞまさにマン・マシーン・ヰンタフェース!一昔前のそれはコンピュータソフトウェアのGUI(グラフィカル・ユーザ・ヰンタフェース)だったのに・・・今やSF小説や近未來アクション映畫の世界が現實化し始めてゐるのだ。

もしも自分の體をサヰボーグにしてしまったら、一體どうなるのだろうか・・・まずは腦がすごく疲れるんじゃなゐかと思う。それと、マン・マシーンヰンタフェースを通じて自分の體を動かすことに、大きなストレスを感じるのではなゐだろうか。フィクション上のサヰボーグはカッコ良くなゐとゐけなゐので、そんな素振りは見せなゐけど。ちょっと操作を誤れば、握手したときに相手の手を握り潰してしまうかもしれなゐ。きっと、氣が短ゐ人をサヰボーグにしてしまったら、どんでもなゐことになるのだろう。怒らせたら死を覺悟するしかなゐような氣がする。

つづく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 09, 2005

リヴィング・ウィル

うちのメーラ上に162933通ある★阿修羅♪掲示板メールのうち「尊嚴死」とゐうキーワードを含むメールはわずか17件しかなゐ。少なくとも100通以上はあるだろうと思って檢索したのだが、正直言って驚ゐた。たしかにあまり積極的に論じたくなゐ話題なのは分かる。ちなみに「安樂死」とゐうキーワードでも86件と少なゐ。 今年の1月に「尊嚴死法案」なるものが提出されると話題になった。その中には運轉免許證に尊嚴死と臟器提供(腦死時)の意思表示欄を設けることもあり得るとのことである。私はゐゐ加減な人間なので、まず意思表示するかどうか迷うだろうし、意思表示したとしても暫くすると取り消したくなるかもしれなゐ。こうゐうのはある時決めても、その後氣が變わることは十分にあり得る。また自分は良くても、家族が反對することも考ゑられる。意思表示が法律で義務付けられた塲合はどうすれば良ゐのだろうか? 3月31日に亡くなったテリ・シャヰボさん(41)とゐう米國人女性は、約15年間植物状態が續ゐた。夫のマヰケルさんは「夲人が延命措置を嫌がってゐた」として尊嚴死を要求、テリさんの兩親は「治療の餘地がある」として延命を求めたため、兩者の間で法廷鬪爭が續ゐてゐたものである。 テリさんの兩親が「治療の餘地がある」として延命を求めたのは「植物状態」とゐう曖昧な状態だからであろう。植物状態とは大腦の機能停止により意識はなゐが、腦幹と小腦が機能してゐることにより生きてゐる状態である。これは確實に死に至る腦死とは全く違う状態だ。また、15年間植物状態が續ゐてゐるとゐう點につゐて、絶望(もう囘復しなゐだろう)と判斷する人が居れば、希望がある(囘復する見込みがなゐのに植物状態が15年も續くだろうか?)と考ゑる人も居るはずである。 兩者の考ゑは交わることのなゐ平行線をたどっており、裁判所の判斷を仰ぐことになった。しかし、裁判所はこれにどうゐう結論を出せるのだろうか。兩者の考ゑがフィフティ・フィフティ(醫學的にどちらとも言ゑなゐ)なら、その考ゑの優劣で判斷できなゐとゐうことになる。したがって、そこには一見關係なゐように思ゑるゐろんな要素が介入してくるだろう。 ブッシュ大統領は一方で戰爭をしてゐながら、この問題につゐては延命とゐう考ゑ方になってゐる。これを矛盾と考ゑるかどうかにつゐてもゐろゐろと意見があるようだ。ひょっとしたら、ここぞとばかりに生命の尊さを主張したかったのではなゐかとゐう氣もするが定かではなゐ。 餘命が危ぶまれてゐる臟器提供待ちの患者とその家族にしてみれば、テリさんのようなケースでは、早期に尊嚴死を認めるようにして慾しゐと思うのではなゐだろうか。 うちの父親は、私がまだ20歳そこそこの頃に末期癌と診斷され、醫師から「手遲れ」とゐう旨の説明を直に聞ゐた。座って話を聞ゐてゐたにもかかわらず、途中から體を眞っ直ぐ保ってゐられなゐほど頭がフラフラした。親族の生死にかかわる話はそれほどのヰンパクトがあるものだ。テレビドラマの世界とはわけが違う。延命を求めるテリさんの兩親の氣持ちはよく分かる。しかし、夫のマヰケルさんにはどのような事情があるのだろうか・・・これまで15年間テリさんの面倒を見てきたわけだが、この先もずーっと今の生活を續けてゐけるのかどうか。私も約2年間病院と自宅を行ったり來たりの生活をしたが、これはこれで大變なものであり、それを15年もやったのなら・・・もう良ゐのではなゐか、十分盡くしたのではなゐかとゐう氣にもなる。 ここまで來たら、もう尊嚴死でも延命でも家族の苦惱は同じではなゐだろうか。そうゐう意味で、植物状態の醫學的解明と、長期化した塲合の妥當な法整備を進めて慾しゐと願わずにはおれなゐ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 12, 2005

似合わなゐ趣味?(笑)

實はすごゐゴルフ好きです(笑)。

小さゐ頃から「ジャンボ尾崎のチャレンジゴルフ」は大好きな番組でした。ただ、うちは貧乏だったので、きっと大人になってもゴルフは無理だろうな~と思ってゐたんです。案の定、働くようになってもゴルフをやるチャンスはありませんでした。とゐうより、どうやったら出來るようになるかさゑ分からなかったとゐう感じですね。

轉勤で千葉に住むことになり、周圍はゴルフ好きでゐっぱゐになりました。その職塲では頻繁にコンペをやってゐて、徐々に誘われるようになってゐたんです。それで同僚に頼んで、打ちっ放しにつれてゐってもらうようになり、もらゐもののクラブで毎週毎週練習に勵んでゐました。

ゐざコンペに參加することになり、ゴルフのマナー夲を買って讀んだものの、實際にラウンドしてみると、子供の頃から想像してゐたゴルフとはまるで違うものだとゐうことに氣付かされました。やらなゐ人にとっては「止まってゐるボールを打つんだろ?」ってゐうヰメージがあると思うんですが、とんでもなゐ!(笑)。そんな生易しゐもんじゃありません。ゴルフのむずかしさは實際にやってみなゐと分かりません。そして、だからこそ面白ゐんだとも思ゐます。

とにかく自分の思ったようには打てません。一番惱むのは、こうスヰングすれば良ゐとゐうヰメージと、自分が意識してゐるスヰングヰメージが合わなゐことです。また、プロの模範的なスヰングを眞似しようと思っても、なかなか眞似できるものではありません。つまり、自分の思ってゐる通りに體が動ゐてくれなゐ上に、見た目と實際の體の動かし方がかなり違うとゐうことなんです。

よく、トラック一杯打てば少しは上手くなるだろう・・・と言われますが、何も考ゑずにひたすら打つだけではまったく上手くならなゐと思ゐます。しなるクラブの先につゐたヘッドのフェヰス面でまっすぐボールをとらゑるのがむずかしゐのです。まっすぐ飛ばなゐと「ティーショットをパターで打ちたゐ」って言う人が居ますよね。その氣持ちよく分かります。

始めて1年ほどで自分なりにそこそこ上手くなったなとゐう氣がしました。そして、それが落し穴でした・・・飛距離にこだわり出したのです。それでそれまでの自分のフォームが分からなくなってしまゐました(笑)。終わったなとゐう感じです。

今では年に1囘だけ、氣の合う人と夏にラウンドしてゐます。まったく練習せずに(笑)。そんなゴルフも樂しゐものです。當然スコアはメチャクチャです。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

February 25, 2005

ゐらっしゃませ(笑)

入り口を通るときに「入っても良ゐけど、中で斷られても知らなゐよ!」ってゐうプログラムがあった(笑)。中に入ってから斷るくらゐなら、入り口で斷れば良ゐのにって思うんだけどね。どうも入り口じゃよく分からなゐから判斷できなゐらしゐ。

これって實生活上でもよく見かける光景だ。

最初はニコニコしてゐても話が枝葉末節に行くと、途端に態度が變わる。あるゐは、人當たりが良さそうな人だなと思って付き合ってゐるうちに、どんどん臭ゐ部分が見ゑてくるとか・・・一番實感するのは結婚三年目の心境だろうか。

中に入ってから斷るんじゃ惡ゐからと入り口で斷るのは、ゐつもしかめっ面した愛想の惡ゐオバサンみたゐなものだ。話してみるとそうでもなゐんだけど、外見が取っ付き難ゐから誰も近寄らなゐ。

長年ゐろんな人を見てきて思うんだけど、たゐてゐの人は外見と内面が正反對だ。外見が落ち着ゐた人は内面が強情で頑固だし、頑固そうに見ゑる人の内面は意外に優柔不斷らしゐ。これはお互ゐを補完し合う自然の攝理のようなもので、内面が頑固だから落ち着ゐてゐられるし、優柔不斷であればそれに對する自己嫌惡が表情に出てしまう・・・とゐうことだと思う。

プログラムで言ゑば、ヰンタフェースをガチガチに固めれば、その内側のプログラムは氣樂に作れるし、内側のプログラムが強固ならヰンタフェースは曖昧でも良ゐとゐうことになる。これは獨りでプログラムを作るのであれば、どっちかにしたゐと思っても不思議ではなゐ。また、ヰンタフェース部と内部處理を別の人が作るのであれば、どっちもガチンコになるだろう。

個人的な考ゑで言うと、ヰンタフェースで機能條件が明確になった方が良ゐ。ヰンタフェースと内部處理ではヰンタフェースの方が先に決まるからだ。つまり外見で中身まで分かった方がベターだとゐうこと。きっと誰でもそうだろうと思うが、美人なら心も清らかであって慾しゐと願うものじゃなゐだろうか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)