December 05, 2005

ブリティッシュ・ジャズ・ロックの結論

60年代の初頭にアレクシス・コーナー(Alexis Korner)が創めたと言われている、ジャズ、ブルース、ロックの融合、つまりブリティッシュ・ジャズ・ロックは、ジョン・メイオール(John Mayall)、グラハム・ボンド(Graham Bond)、ニュー・ジャズ・オーケストラ(New Jazz Orchestra)、クリーム(Cream)などの主要な流れを経て、71年にジョン・ハイズマン(Jon Hiseman)率いるコラシアム(Colosseum)が結論を出して終わった、と考えるのが一般的だ。それ以降はブリティッシュ・クロス・オーバーと呼ばれている。もちろんそれ以降も、純ブリティッシュ・ジャズ的な取り組みは続いてはいるが・・・

60年代の終わりから活発に活動して、まるで我が世の春を迎えたかのようだった、ハード・ロック、プログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロックのアーティストたちが、72年~73年になって急激に失速し、世代交代したのはコラシアムの解散やソフト・マシーン、ニュークリアスのクロス・オーバー化と無関係ではないだろう。多くのミュージシャンが指標を失ったのだ。

それはあのキング・クリムゾン(King Crimson)も例外ではない。『ポセイドンのめざめ』あたりから、キース・ティペット(Keith Tippett)等のブリティッシュ・ジャズ勢に接近し、『リザード(Lizard)』と『アイランズ(Islands)』を発表後、自らもコンボでジャズ・ロックを実践したのが『アースバウンド(Earthbound)』である。つまりそこまでが彼等なりの方法論の追及であり、その後大幅なメンバーチェンジを行い、同様の路線を踏襲したが、2年後にはロバート・フリップ(Robert Fripp)が「新時代の到来」と言ってバンドを解散させた。『アースバウンド』の後で、フリップを除く3人がクリムゾンを辞めて、すがり付くようにアレクシス・コーナーの下へ走った?というのも面白い。

さて、以上のようなことはどうでも良くて(笑)・・・コラシアムである。彼等のバンドとしての起源は60年代の初めから活動していた、ウェス・ミンスター・ファイヴ(Wes Minster Five)というハイスクール・ハンドで、そこには既にジョン・ハイズマン、デイヴ・グリーンスレイド(Dave Greenslade)、トニー・リーヴス(Tony Reeves)の3人が居たようだ。その後、クリーム結成のためグラハム・ボンド・オーガニゼーション(Graham Bond Organization)からジャック・ブルース(Jack Bruce)とジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)が抜けたため、そこへジョン・ハイズマンが加入。ディック・ヘクストール・スミスと出会う。グラハム・ボンドと別れ、ウェス・ミンスター・ファイヴの頃に一緒だったキーボードのデイヴ・グリーンスレイドとベースのトニー・リーヴスを呼び、ヴォーカルのジェイムズ・リザーランド(James Litharland)とギターのジム・ローチェ(Jim Roche)を入れて、68年にコラシアムが結成される。まるでクリーム解散の後を引き継ぐかのように。

ファーストアルバムは、彼らの活動全体から見て、ジャズっぽいブルース・ロックという感じだが、当時としては珍しくドラマーがリーダのアルバムということで、全編ジョン・ハイズマンの渾身のプレイが目立つ。ひょっとしたら、それが騒々しいということで彼らを敬遠している人が居るのかもしれない。トニー・リーヴスのベースはジャック・ブルースやヘンリー・カウ(Henry Cow)のジョン・グリーヴス(John Greaves)のような、ハイテクニックで硬派な感じである。しかし、エゴ剥き出しの演奏で崩壊したクリームの後継ということを考えると、最初からベースやドラムスが自由奔放に演奏している様は、聴いていて非常に痛快だ。またディック・ヘクストール・スミスのソプラノ&テナー・サックス同時吹きはローランド・カーク(Roland Kirk)顔負け?だが、それが単なる曲芸ではなく、彼らのサウンドの重要な要素となっているのに驚かされる。1人でビッグバンドのホーン部隊を模しているわけだ。デイヴ・グリーンスレイドのキーボードも70年代のスタープレーヤーたちと比べて全く遜色ない本格派である。ただ公募により加入させたギターのジム・ローチェは、演奏面で他のメンバとの差があったのか、それともコラシアムが目指す音楽についていけなくなったのか、レコーディング中に脱退している。そのためかジャケットにも5人しか写っていない。その後のローチェの消息は知らなかったが、どうやらセカンドアルバムの後でデイヴ・アーバス(Dave Arbus)以外のメンバが全員脱退したイースト・オブ・エデン(East Of Eden)に参加したようだ。

セカンドアルバム『ヴァレンタイン組曲(Valentyne Suite)』は彼らの代表作として有名?だ。このアルバムはまず、キーフ(Marcus Keef)の印象的なジャケットが目を引くだろう。左側に佇む神秘的な女性といい、その後ろに広がる高原の不思議な風景といい、その中に立っているキャンドル?といい、まさにキーフならではのジャケットアートである。そして次に気になるのが『ヴァレンタイン組曲』というタイトルだ。ファーストアルバムはブルースっぽい内容だったので、一転してクラシックのアルバムを思わせるようなタイトルは、このレコードにいったいどんなサウンドが詰まっているのか、聞く者を興味津々にさせるだけのインパクトがある。そしていざレコードに針を落としてみると・・・1曲目からジミ・ヘンドリクス(Jimi Hendrix)に影響を受けたようなハードロックが飛び出してきて、さらに驚かされる。非常にハイテクニックなハードロックっぽい曲だが「こんな演奏は朝飯前さ!」という感じで楽しそうに演奏しているのが分かる。LPのA面にあたる4曲は、リザーランドのヴォーカルとギターが大活躍するといった印象だが、前作と違っているのはニール・アードレー(Neil Ardley)のアレンジ・ワークが入っているところだ。そういう意味で、ファーストアルバムよりも洒落た雰囲気のサウンドになっている。そして最大の聴き所は、やはりB面すべて使ったタイトル曲「ヴァレンタイン組曲」だろう。案の定、デイヴ・グリーンスレイドのキーボードとヴァイブが大きくフィーチャーされている。かと思うと、一変してディック・ヘクストール・スミスのソプラノサックスが美しいピアノの音色に乗って、広大な荒野を表現する・・・クラシックっぽいが非常に骨太な感じがするのは、ジョン・ハイズマンが渾身のドラミングでサウンドを支えているからだ。きっと、ニール・アードレーもこの曲の構成には関与しているのであろう。名盤である。

続くサードアルバム『ドーター・オブ・タイム(Daughter Of Time)』は前後のアルバムが強烈過ぎたためか、これまでほとんど聴いていなかった。このアルバムでは、大きなメンバチェンジが行われている。まず、ヴォーカル&ギターのリザーランドが抜け、ド迫力なソウル・シンガーのクリス・ファーロー(Chris Farlow)とクレム・クレムソン(Clem Clemson)が参加している。また、ベースのリーヴスがプロデュースに専念するという理由でプレーヤからプロデューサになり、その後任としてマーク・クラーク(Mark Clarke)とルイス・センナモ(Louis Sennamo)が半分ずつベースを担当している。ちなみにリザーランドはジョン・ウェットン(John Wetton)が初めて参加したバンドとして有名な、モーグル・スラッシュ(Mogul Thrash)を結成する。このサードアルバムでは、前作よりもさらにニール・アードレーによるストリング・アレンジが目立つ曲が多くなってきた。それがクリス・ファーローのヴォーカルと合わさって、より格調高いサウンドに聴こえる。ただ、ヴォーカルが強力になった分、ディック・ヘクストール・スミスのサックスが陰を潜めた感があり、バンドの状態としては飽和状態になりつつあることも分かる。これが彼らの最後のスタジオ作となった。

最初に聴いたアルバムは『コラシアム・ライヴ』だった。買った当時は、たしかグランド・ファンク・レイルロードやユーライア・ヒープの2枚組みライヴが、同じシリーズで出ていたと思う。値段は3000円という手頃なもので、その機に乗じていろいろ手に入れた記憶がある。伊藤政則氏の熱いライナーノーツの書きっぷりには、心を揺り動かされたものだ。それと同じものかどうかは分からないが、CD化された今もそのライナーが掲載されている。そこには、アレクシス・コーナー、グラハム・ボンド、ジョン・メイオール等の一連の系譜について書かれていて、大いに勉強になった。そういう先入観を持ってコラシアムのライヴを聴くと、ブリティッシュ・ジャズ・ロックというものを作り上げてきた男たちの気概と誇りのようなものを感じる。実際に彼等のライヴを聴いてみれば、ライナーの書きっぷりに負けないくらい、熱く激しい演奏に誰もが驚嘆するだろう。まるで、ジョン・ハイズマンのドラムソロに合わせて演奏しているかのようだ。オープニングには、ジャック・ブルースのファースト・ソロアルバムから「月へのきざはし」を持ってきて、一切手抜きなし、怒涛のプレイのオンパレードを繰り広げている。2曲目はファーストアルバムにも収録していたグラハム・ボンドの「公園の散策」。ここまでで、彼等がやりたかった音楽がどんなものだったのか大体分かるだろう。3曲目はクリス・ファーローのヴォーカルと、クレム・クレムソンのギターを大きくフィーチャーした「スケリントン」という大曲。ファーローはこの曲で、全盛期のイアン・ギランも真っ青のド派手なヴォーカルを披露している。4曲目はマイケル・ギブスの「タングルウッド'63」をコンボで演奏するという興味深いものだが、彼等は見事にオリジナルに勝るとも劣らない分厚い演奏を実現している。ここでの主役はやはりディック・ヘクストール・スミスだろう。中間部ではマルチリードの威力を遺憾なく発揮したソロ演奏を聴くことが出来る。5曲目に「ストーミー・マンデー」のリラックスした演奏を挟んで、ラストの「失われた天使」に突入する。イントロからグリーンスレイドの分厚いオルガンが徐々に曲の雰囲気を盛り上げていく・・・感動的な高揚だ。ディープ・パープルでジョン・ロードのオルガンに魅せられた人なら、きっとグッと来るのではないか。まさに幕引きに相応しいラスト曲である。個人的には、ディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』や、レッド・ツェッペリンの『永遠の詩』と同列で評価されても何ら遜色のないライヴ・アルバムだと思う。

最後に、再結成ライヴについて。これには『コラシアム・ライヴ』と全く同じ最強メンバで行われた再結成コンサートの模様が収められている。CDではカットされている曲があるがDVDにはすべての曲が入っている。カットされているのは「スケリントン」「タングルウッド'63」「月へのきざはし」「公園の散策」の4曲。これを全盛期の演奏と比較するのはあまり意味が無いが、聴いてすぐに気が付くのは、ハイズマンの荒々しかったドラミングが少々抑え気味になり、非常に正確になったということ。その他、ファーローのヴォーカル、グリーンスレイドのキーボード、ヘクストール・スミスのサックスは上手い具合に枯れている。しかし、クレムソンやクラークの演奏はまるで現役そのものといった感じで元気いっぱいだ。とくに「失われた天使」のギタープレイには驚かされるだろう。ハイズマンが50才、ヘクストール・スミスが60才という高齢での演奏とは思えない迫力が、このライヴにも詰まっている。

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October 17, 2005

フレンチロックの典型──アトール

これまでのアーティスト紹介では、ゴング(Gong)を除くとユーロピアンロック勢は初登場になる。まあゴングをユーロピアンロックの文脈で語る人はほとんど居ないと思うが・・・ということで、アトール(Atoll)について書いてみる。

特に何のこだわりもなく「フレンチロックのお薦めって何?」って聞かれたら、間違いなくアトールをお薦めする。「どのアルバムが良い?」って聞かれたら、間違いなくセカンドアルバム『夢魔(L'Araignee-Mal)』をお薦めする(笑)。このアルバムを聴いて失望する人はほとんど居ないだろう。きっと、「そうそう!以前からこんなサウンドが聴きたかったんだよ」という期待のうちの何割かが満たされるのではないだろうか。フランスのイエスだとか、ジョン・アンダーソン以上のクリアヴォイスなんていう、ありふれたキャッチコピーはどうでも良い。このバンドのサウンドは明らかにフレンチロックの典型だ。

彼らは文末にジャケットを表示している4枚のアルバムを発表している。その後も、ギタリストのChristian Beyaを中心に活動しているようだが、ここでは話題にしない。ファーストアルバム『ミュージシャン・マジシャン(Musiciens-Magiciens)』とセカンドアルバム『夢魔』で自分たちの主張を追求し、サードアルバムの『Tertio』で洗練されたサウンドに変貌する。サードアルバムの1曲目「パリは燃えているか(Paris c'est Fini)」を聴くと、吹っ切れたようにテンションが落ちているのが分かるだろう。フォースアルバム『ロック・パズル(Rock Puzzle)』ではさらに・・・

『ロック・パズル』発表後にAndre Balzer(vo)、Christian Beya(g)、Jean-Luc Thillot(b)の3名が相次いで脱退してしまい解散状態に追い込まれるが、なんと!ジョン・ウェットンとギタリスト1名を加えた構成でリハーサル(?)を行っている。その模様は最近発売されている『ロック・パズル』のボーナストラックに収められているようだ(残念ながら私が持っているCDには未収録)。

彼らのサウンドは、Andre Balzerのフランス語のヴォーカルをはじめとして、強靭なリズムセクション、ハイテクニックなキーボードとギターによって、シンフォニックなジャズ・ロックになっている・・・これはちょっと変な言い回しかもしれないが、単純にシンフォニック・ロックというにはあまりにもテクニカルな演奏だ。このあたりは同じくフレンチのアンジュ(Ange)と比較するとよく分かるに違いない。中でもセカンドアルバムの『夢魔』は、全編どの曲も演奏も文句の付けようが無いくらい美しく、力強く、カッコ良い。フレンチ・ロック史上稀に見る名盤と呼んで良いはずだ。

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August 02, 2005

異常行為

ジェネシス(Genesis)からピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)が脱退し、ヴォーカリストとしても活躍することになったフィル・コリンズ(Phil Collins)が参加した、ジャズ・ロックないしはフュージョン/クロスオーバーなバンドがブランドX(Brand X)である。

このバンドも当時のフォノグラム1500円シリーズだった『異常行為(Unorthodox Behaviour)』が目に止まった。『ジェネシス・ライヴ』で渾身のプレイを披露していたフィル・コリンズが、ジャズ・ロックのバンドでどんなプレイをするのか・・・という意味でも非常に興味があったのだ。そしてレコードに針を落とし、1曲目の「Nuclear Burn」を聴いた途端、頭の中がぶっ飛んだ(笑)。フィル・コリンズのドラミング以上に、ベースのパーシー・ジョーンズ(Percy Jones)や、ギターのジョン・グッドソール(John Goodsall)のプレイに。もちろん、ロビン・ラムレイ(Robin Lumley)の狂おしくウェーヴするシンセサイザーも凄いのだが、とにかくベースとギターを中心に怨念が篭ったような音が、固まりになって攻めてくるような演奏だった。この曲を聴くためだけにこのレコードを買ったとしても、全く損した気にならないだろうと思う。

それにしても・・・これまでに何度も紹介しているとおり、当時はこういった凄いレコードの多くが1500円とか1800円とかの値段でよく売られていた。最初は不思議に思ったものだが、そういう価格でみんなに聴いてもらい、それをきっかけに他のレコードセールスにつなげたいというのがレコード会社の思惑だったのだろう。そういう意味で、聴いたこともないようなアーティストのレコードが低価格で出ていたら、それは関連するアーティストも聴いてみようという気になるほど素晴らしいレコードだということになるわけだ。

『異常行為』の恐るべき演奏に打ちのめされた後は、やはりライヴアルバムが気になった。だが3作目の『ライヴストック(Livestock)』には、期待していた「Nuclear Burn」が収録されていなかった。これは『ジェネシス・ライヴ(Genesis Live)』に「サパーズ・レディ(Supper's Ready)」が収録されていないこと以上にショックだった。なぜだろう・・・ひょっとしたらステージでは上手く演奏できなかったのではないか、などと想像したものだ。素晴らしい演奏が出来ていたのであれば収録されないはずがないのである。最近は粗悪な発掘音源でも海賊盤対策と称して発売されているが、当時のライヴアルバムはそうではなかったのであろう。

『ライヴストック』はそういう期待を裏切られた割には素晴らしいライヴアルバムであった。パーシー・ジョーンズとフィル・コリンズという非常に強力なリズムセクションにパーカッショニストのモーリス・パート(Morris Pert)まで加わって、さらにスリリングな演奏が展開されている。また、『異常行為』に蔓延していた怨念のようなものは薄れ、高層ビルの屋上から真夜中の大都会の美しい夜景を眺めているような、透明感溢れる雰囲気が漂っている。収録曲は『異常行為』収録の「安楽死のワルツ(Euthanasia Waltz)」、『モロッカン・ロール(Morrocan Roll)』収録の「マラガ・ヴィルゲン(Malaga Virgen)」以外は未発表曲だ。

『ライヴストック』では、もう一人ケンウッド・デナード(Kenwood Dennard)というドラマーが「Nightmare Patrol」と「マラガ・ヴィルゲン」で叩いている。これがフィル・コリンズとは一味違ったパワフルなドラミングで、特にパーシー・ジョーンズに緊張感を与えており、サウンド全体が骨太になったような印象を受ける。

さて、ライヴを発表するとバンドが変わるという定石通り、彼らも『ライヴストック』がひとつの飽和点だったようである。まず、キーボード奏者のロビン・ラムレーが(あくまでブランドX内で)プレーヤとしての限界を感じ、プロデューサにまわる。後任としてサン・トレイダー(Sun Treader)やクォーターマス(Quatermass)で華麗なる演奏をしていたピーター・ロビンソン(Peter Robinson)が加わる。また、ソロ活動が忙しくなった(?)フィル・コリンズが、アメリカのハイテク・ドラマー、チャック・バージ(Chuck Burgi)と交代する。その他、ジョン・グッドソール、パーシー・ジョーンズ、モーリス・パートはそのまま残り、78年に『マスク(Masques)』というアルバムをリリースする。このアルバムでは、それまでのサウンドからブリティッシュ・ジャズ・ロック特有の哀愁感とか透明感といったものを取り払い、ほとんど超人の域に達したかのような演奏を繰り広げている。

『マスク』の後は、なんとフィル・コリンズ組:ロビン・ラムレー、ジョン・ギブリン(John Giblin)と、パーシー・ジョーンズ組:ピーター・ロビンソン、モーリス・パート、マイケル・クラーク(Michael Clarke)に分裂してしまい、ジョン・グッドソールがその両方でギターを弾くという変則的なバンド構成になってしまう。この構成で『プロダクト(Product)』や『ドゥ・ゼイ・ハート?(Do They Hurt?)』がリリースされた。この頃のアルバムはあまり聴き込んでいないため印象が薄いが、耳を疑うようなハイテクニックのオンパレードになっていたと記憶している。CDとしては、『モロッカン・ロール』と『プロダクト』以降のものは持っていない。

99年にジョン・グッドソールとパーシー・ジョーンズが『Xファイルズ(The X Files)』という未発表音源をリリースする。これに念願の「ニュークリア・バーン」のライヴ演奏が収録されていたので、喜んで買ったのだが・・・スタジオ盤ほど怨念の篭った完璧な演奏ではなかった。この音源集にはビル・ブラフォード(Bill Bruford)、ピエール・モーラン(Pierre Moerlen)、チェスター・トンプソン(Chester Thompson)が参加した演奏もある。その他、ジャズ・ロック、フュージョン系の音が好きな人には堪らないミュージシャンが多く参加しているようだ。ジョン・グッドソールとパーシー・ジョーンズの意欲的な活動を知るには好都合のアルバムだが、これに対するフィル・コリンズ勢の音源が待たれるところである。

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July 31, 2005

ゴング星人

ソフト・マシーン(Soft Machine)の創始者デヴィッド・アレン(Daevid Allen)がビザの関係でイギリスに再入国出来なくなり、フランスに残って結成したのがゴング(Gong)である・・・と書き始めてみたものの、ココログを「ゴング」で検索してみたら、ロックバンドのゴングについて書いているのは私だけだった。たくさん引っかかってくるが、そのほとんどはプロレスねたではないか・・・もちろん、ゴングのファン全員がブログやホームページをやっているわけではないのだから、別に落胆することではない。ただ、実生活上でも彼らのファンに出くわしたことはほとんど無いのである。こんなに有名で実力のあるロック・バンドの知名度が日本で低いのは、なぜなんだろうか。それとも自分の感覚の方がおかしいのか。

最近になって、ふと考えるのは・・・アーティストの知名度とかセールスというのはビジネスの規模に比例しているということだ。それすなわち、関わる人の多さに比例するということである。ゴングのようなヒッピー系のミュージシャンが有名になったとして、その次に何が起きるのか。きっと、次のアルバムはまだか、作曲やリハーサルは進んでいるのか、コンサートはどうするのか、プロモーションは制作したのか、テレビ出演はいつやるのか、新聞や雑誌の取材はどう対応するのか・・・そんな周囲のアクセスに毎日翻弄されることだろう。そういうことに上手く対応出来れば、ビジネス規模はどんどん大きくなっていき、どんどん有名になれるだろうし、対応出来なければ、いくら実力のあるミュージシャンであっても有名にはなれない気がするのである。そして彼らはそんな音楽ビジネスに乗っかって、有名になり、稼ごうとするようなミュージシャンではなかったという気もする。

そんなゴングは、無名ミュージシャンの発掘で成功するヴァージン・レコードに見出され、徐々に有名になっていくが、それでも彼らの音楽のポリシーは変わらなかったように思う。なにしろリーダのデヴィッド・アレンは「永遠のヒッピー」と呼ぶに相応しい人物で、有名になって、良い家に住んで、良い車に乗って、良いものを食べて・・・なんていう生活を欲しがるような人物ではなかった。それは彼らの独創的で奇想天外で、ちょっぴりエロチックな音楽によく表れていると思う。そもそも、ただ売れたいだけなら、そんな音楽をやる必要は無いのだ。つまり、自分ないしは自分たちのエゴを貫きたかったのだと思う。しかし、そんな彼らも『エンジェルズ・エッグ(Angel's Egg)』あたりのアルバムになると、ジョルジオ・ゴメルスキ(Giorgio Gomelsky)が制作に関わるようになって、どんどん洗練されていく。

最初に目に付いたのは、やはりラジオ・ノーム・インヴィジブル(Radio Gnome Invisible)三部作だ。ただ当時のレコード屋でよく見かけたのは『エンジェルズ・エッグ』と『ユー(You)』の2作で、1作目の『フライング・ティーポット(Flying Teapot)』はほとんど置かれていなかった記憶がある。発売元が違っていたからかもしれない。当時他によく見かけたのは『Live』、『Expresso II』、『追い風(Downwind)』の3枚くらいだった。どれを最初に聴くか迷ったが、結局『エンジェルズ・エッグ』を選んだ。すでに彼らのサウンドは、レコードジャケットからある程度想像出来ていたが、実際に聴いてみて想像したとおりだったのに驚いた。ティム・ブレイク(Tim Blake)の非常に分厚いシンセサイザーの音と、ギリ・スミス(Gilli Smyth)の妖艶なスペースウィスパー・・・これだけなら「う~ん、スペーシー!」と思えば良かったのだが、そこにディディエ・マレルブ(Didier Malherbe)のサックスが絡んできて「うっ、これは一筋縄ではいかないな」と慌てて思い直した。

彼らのサウンドの特徴は、デヴィッド・アレンとギリ・スミスの独創的なヴォーカル&ウィスパー、スティーヴ・ヒレッジ(Steve Hillage)とティム・ブレイクのエレクトリック・サウンド、マイク・ハウレット(Mike Howlett)とピエール・モーラン(Pierre Moerlen)の強靭なリズムセクション、さらに不思議と彼らのエレクトリックサウンドに上手く溶け込むディディエ・マレルブのサックス&フルートが絡み合う、スペーシーなジャズ・ロックといったところか。おそらく初めて聴いた人は、この愉快で奇想天外なサウンドを凄い演奏テクニックでバシッと決めていることに驚くだろう。

その素晴らしい演奏は『ユー』の「創造主(Master builder)」という曲で完成し、以後アレン&スミスが脱退してしまう。きっと『ユー』というアルバムは、アレンの音楽世界と他のメンバの強力な演奏能力の鬩ぎ合いの中で生まれたのだと思われる。それゆえにラジオ・ノーム・インヴィジブルの完結とともに、一気に煮詰まってしまったのではないかという気もする。アレン&スミス脱退後は、ヒレッジ、ブレイク、ハウレットが離脱していき、ピエール・モーランを中心としたドラムス&パーカッションが活躍する、クロスオーバーサウンドを追求するバンドに生まれ変わっている。「アレンが居なければ、ゴングではない」というファンも居るとは思うが、個人的にはピエール・モーランズ・ゴングも好きでよく聴いている。

名ドラマー、ピエール・モーランが亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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軟らかい機械

1年間カタログ集めしていろいろと調査した挙句、高校1年の正月にやっとオーディオ環境を手に入れた。実はその3ヶ月くらい前からフライングでLPを買い始めていたのだが(笑)。すでにご紹介している通り、最初に買ったLPは『ジェネシス・ライヴ(Genesis Live)』だったが、最初のうちはライナーを読みたかったので邦盤ばかり買っていた。レコード屋に行っても、いつも邦盤コーナを物色していた。一度レコード屋に入ると2時間くらいは出てこないので、一緒に行った友人をいつも閉口させていたものだ。次第に友人と連れ立ってレコード屋に行くことは無くなり、独り黙々と自分が聴きたいレコードを探し回っていた。今にして思うと、当時は他の客との駆け引きもあったと思う。なにせ当時はまだ通販なんて便利なものは無かったし、欲しいレコードは山ほどあって、それを懐具合と相談しながら自分が聴きたい順に手に入れていきたいわけで、買うのを見送ったレコードはひょっとしたら他の客に買われてしまって、そのまま廃盤になり、二度と手に入らないかもしれないという危機感さえあった。現にそうやって見送ったレコードでいまだに手に入らないものもある。

というわけで、手に入れたいレコードを邦盤から探し出すのに限界を感じ始めた頃、ふと輸入盤コーナを覗いて見つけたのが、ソフト・マシーン(Soft Machine)のサードアルバムだった。価格もお手頃だったので迷わず買ったのだが、自宅に戻って開封した途端、ひっくり返ってしまった(笑)。2枚組のLPで4曲しか入っていない・・・つまり全曲LP片面曲だ。当時既に聴きたいと思って買ってはみたものの、一聴してギャフンとなったレコードが結構あったので、急に頭の中が重苦しくなっていった。「またか・・・」と、いくら興味のあるレコードでも聴いてすぐに気に入るものは滅多に無いことを痛感し始めた時期でもあったのだ。欲しい一心で買ったレコードを自宅に持ち帰って、そういう後悔の念を感じることが多くなっていた。『クリムゾンキングの宮殿(In The Court Of The Crimson King)』『展覧会の絵(Pictures At An Exhibition)』のような、一聴してその素晴らしさが分かるレコードはホントに稀だ。

結果的には、最初から最もヘヴィなアルバムを買ってしまったわけだが、その時はまだそれが分かっていなかった。どれを聴いても最後まで曲を追うことが出来ず、そのまま眠ってしまう・・・というのがしばらく続いたので、断片的な曲のイメージいろいろと頭に残したまま放置してしまった。高校生が聴くにはちょっと高尚過ぎるのではないかと思われたのだ。ただ、何とかしてこの音楽を味わいたいという気持ちというか焦りもあった。もちろん周囲に彼らのレコードを聴いたことがある者は誰も居なかった。

そこでちょっと目先を変えて、その当時では唯一のライヴアルバムだった『Alive & Well In Paris』を買って聴いてみた。このアルバムのバンドメンバには、サードアルバムの頃のメンバが一人も居ないという状態だったが、ジョン・エサリッジ(John Etheridge)やジョン・マーシャル(John Marshall)の逞しい演奏は素直に楽しめるものだった。それと同時に、サードアルバムからこのライヴアルバムまでの間にいったい何があったのかという点で、さらに興味が湧いていった。

もともと彼らのルーツは、60年代初期のデヴィッド・アレン・トリオ(Daevid Allen Trio)まで遡る。当時のメンバはデヴィッド・アレン、ヒュー・ホッパー(Hugh Hopper)、ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の3人で、ウィリアム・バロウズ(William Burroughs)やテリー・ライリー(Terry Riley)とパリで仕事をしていたという。発掘された音源にはマイク・ラトリッジ(Mike Ratledge)も参加している。66年頃にはワイルド・フラワーズ(Wilde Flowers)として、ブライアン・ホッパー(Brian Hopper)、リチャード・シンクレア(Richard Sinclair)、ケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers)等と一緒に、リズム&ブルース、ソウル、実験的なジャズを混ぜ合わせたような奇妙な演奏を行っていたらしい。68年にワイルド・フラワーズの半分がキャラヴァン(Caravan)になり、(それ以前から?)デヴィッド・アレン、マイク・ラトリッジ、ケヴィン・エアーズ、ロバート・ワイアットの4人は、ウィリアム・バロウズの小説のタイトルからソフト・マシーンを名乗るようになった。

この後続く経緯は、読んだ文献によっていろいろなので、詳細に書こうとすると不可解なことが多い。要約すると・・・ピンク・フロイド(Pink Floyd)とともにUFOクラブで演奏していた時期は、オーディエンスの反応が良くなかったので、一時フランス南部に活動の場を移している。その後イギリスに戻る際、デヴィッド・アレンが入国出来ず、3人で活動を継続することになる。前後関係がよく分からないが『Jet Propelled Photographs』というデモが存在し、これにはデヴィッド・アレンが参加していることになっている(後にアルバムとして発売される)。67年の終わりにジミ・ヘンドリクス(Jimi Hendrix)と一緒にアメリカツアーを行い、68年にファーストアルバム(『Soft Machine』)を録音する(このアルバムは70年代半ばまでリリースされなかったらしい?)。このツアーでバンドの状態はボロボロになり、ケヴィン・エアーズが脱退する。マイク・ラトリッジとロバート・ワイアットはローディをやっていたヒュー・ホッパーをメンバにし、ブライアン・ホッパーの協力も得て、69年にセカンドアルバム(『Volume II』)を制作する。この後、ジャズ路線を強め、エルトン・ディーン(Elton Dean)、リン・ドブソン(Ryn Dobson)、マーク・チャリグ(Marc Charig)、ニック・エヴァンス(Nick Evans)等のホーン奏者が相次いで参加し、70年にサードアルバム(『Third』)が完成する。

こうしてサードアルバムまで、アルバム毎にメンバがどんどん変わっていくが、この傾向はその後もずっと続く。唯一、71年の『4th』アルバムのみメンバの変動は微量だ。72年の『5th』アルバムではロバート・ワイアットが脱退してしまい、A面をエルトン・ディーンの秘蔵っ子フィル・ハワード(Phil Howard)、B面を元ニュークリアス(Nucleus)のジョン・マーシャルがドラムスを担当するという変則的な構成となった。73年の『6』ではエルトン・ディーンが脱退し、これまた元ニュークリアスのカール・ジェンキンス(Karl Jenkins)がホーン奏者として参加する。同年ヒュー・ホッパーがロイ・バビントン(Roy Babbington)と交代し、『7』ではオリジナルメンバがマイク・ラトリッジ一人だけになる。75年には超絶ギタリスト、アラン・ホールズワース(Alan Holdsworth)を迎え『収束(Bundles)』を発表したが、その後に最後のオリジナルメンバだったマイク・ラトリッジが脱退。『Alive & Well In Paris』は、元ウルフのジョン・エサリッジが参加した『Softs』の後で発表されたライヴアルバムということになる。興味深いのは『収束』発表時のメンバが、マイク・ラトリッジを除くと全て元ニュークリアスのメンバになってしまった点だろう。

さて、ソフト・マシーンのメンバの変遷を書いているうちに長くなってしまったが、結局サードアルバムはどうなったのか・・・それはソフトマシーンを中心とするファミリーツリーを辿りながら、カンタベリーのいろんなアーティストを聴いていくうちに、徐々に個々のメンバの音楽性や癖のようなものが分かるようになって、やっとあの長い曲をスルーで聴けるようになっている。また、聴き込む度に新たな発見があって、サックス、コルネット、トロンボーン、オルガン、ベース、ドラムス等の楽器の個々のメロディを夢中になって追いかけるようにもなった。

ロックファンにとって、サードアルバムの中で最初に耳に留まるのはきっと「Moon In June」であろう。理由は簡単で、唯一この曲にはホーンセクションが参加していないからだ。ロック・ミュージックにおいて、ヴォーカルと管楽器というのは相容れないものなんだろうか。また、管楽器がメイン楽器として活躍するロックバンドは、ロックファンに受け入れられ難いのだろうか?

考えてみれば、彼らの楽曲で、ホーンセクションをバックに歌っている曲はほとんど無い。皆無と言っても良いほどだ。もともとソフト・マシーンのヴォーカル担当はロバート・ワイアットとケヴィン・エアーズで、この2人の方向性は虚無的かつ楽天的であり、マイク・ラトリッジやヒュー・ホッパーとは明らかに違っていた。とくにロバート・ワイアットはドラマーとして、当時マイルス・バンドに居たジャック・デジョネットに匹敵するほどの凄いプレイを随所で見せていたが、それでもラトリッジとホッパーのジャズ路線(ホーンセクションの導入がエスカレートしてヴォーカルよりもトランペットやサックスを前面に出すという方針?)にはついて行けないということだったのかもしれない。このあたりはラトリッジの「Slightly All The Time」で素晴らしく繊細なプレイを披露しているのを考え合わせると、解せないというか残念である。

ファーストアルバムから『ランド・オブ・コカイン』までで、管楽器奏者が居ない(または使っていない)のはファーストアルバムだけだ。ただ、ホーンセクションと呼べるような構成で管楽器を導入していたのはサードアルバムと次の『4th』だけである。『5th』以降のアルバムではサックス奏者がかろうじて1名だけ居るという構成が続く。カール・ジェンキンスなんて、参加当初はバリトン&オーボエ奏者と思われていたのかも知れないが、マイク・ラトリッジが抜けた後はほとんど吹いていない。彼はニュークリアス時代からずっとピアニストであり、ソフト・マシーン解散後も管楽器奏者としての活動はしていない。やはりエルトン・ディーンとともに参加してきた、バリー・サマー・スクール勢(キース・ティペット一派?)であるマーク・チャリグやニック・エヴァンスが居た頃が、最も充実したバンド構成だったと思われる。

サードアルバムを聴きこなそうとあがいていた頃に、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)、オーネット・コールマン(Ornette Coleman)のアルバムをいくつか買って聴いた。そして彼らのジャズを聴いて、ソフト・マシーンのメンバがいったい何をやりたかったのか、だいたい分かったような気がした。当時の彼らの音楽は50年代モードジャズに対する憧憬であり、それを「自分たちならこうやってもっと刺激的に演奏する」というのを見せ付けたかったのではないか。あるいは、ジャズの巨人たちが歩んできた道の一つ一つをまとめ上げたかったのかもしれない。現にソフト・マシーンの音楽には、50年代ジャズへのノスタルジー、ビッグ・バンド、モード、アヴァンギャルド、インプロヴィゼーション、ロック、サイケデリック、ダダイズム、ヒッピー・カルチャー、ミニマル・ミュージックなどの要素が混然一体となって入り込んでいる。

サードアルバム発表後の彼らは徐々に洗練されていくが、その過程で凄いライヴを行っている。それが『BBC Radio One Live In Concert Vol.1』に収められている。彼らのライヴ音源は、CD時代になってからたくさん発掘されているが、絶好調でかつ音質が良いのは、71年頃の演奏を収録したこのアルバムだけだと思う。しかし・・・初めてのアメリカ公演で見た本場のジャズへの興奮が、ここまで持続していたのかという点に驚かされる。ラストで演奏している『4th』の1曲目「Teeth」には、なんとロニー・スコット・クラブの主宰者ロニー・スコット(Ronnie Scott)が参加している。

『5th』以降、洗練の一途を辿る中で、前述したようにニュークリアスのメンバがどんどん参加し、『収束』の頃にはマイク・ラトリッジを除いた4名が元ニュークリアスのメンバになった。その中の一人がアラン・ホールズワースだったということだけが、なぜか非常に有名である。不思議なのは、もうサードアルバムで全てを成し遂げたはずの彼らが、なぜ以降もバンドを継続したのか・・・である。やっぱりソフト・マシーンという大樹を生かしておかないと、シーン全体を壊してしまうという危機感があったのだろうか。偶然かもしれないが、カンタベリーの主要な活動が続いた81年まで、ソフト・マシーンは生き続け、解散を見届けたジョン・マーシャルは再び古巣のニュークリアスに戻っている。最近ではソフト・ワークス(Soft Works)とか、ポリ・ソフト(Poly Soft)とか、ソフト・マシーン・レガシー(Soft Machine Legacy)とか・・・そういった形で70年代のソフト・マシーンが受け継がれている。

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July 25, 2005

驚異のロック・トリオ

・・・と言えば、やはりエマーソン・レイク&パーマー(Emerson Lake & Palmer)ですね。また、ナイス(Nice)のキース・エマーソン(Keith Emerson)、キング・クリムゾン(King Crimson)のグレック・レイク(Greg Lake)、アトミック・ルースター(Atomic Rooster)のカール・パーマー(Carl Palmer)が参集したスーパー・バンドでもあるのです。

たしか一番最初に聴いた曲が「恐怖の頭脳改革(Brain Salad Surgery)」で・・・なんじゃこりゃ!って感じた記憶があります。タイトル通り、サディスティックな風味が蔓延していますね。グレッグ・レイクって不思議な人で、独りになるとロマンチックな弾き語りばかりやっているようなイメージなんですが、バンド演奏になると、ロバート・フリップ(Robert Fripp)とかキース・エマーソンとかゲイリー・ムーア(Gary Moore)とか・・・そういったアクの強いミュージシャンとの共演が多くて興味深いです。ひょっとしたら制作サイドの意向でそうなっているのかもしれません。「恐怖の頭脳改革」でも、いつもの叙情的な・・・とは言い難いような声を張り上げて歌っています。きっと、グレッグ・レイクのファンとしては「エピタフ(Epitaph)」とか「石をとれ!(Take A Pebble!)」みたいな曲を永遠に歌い続けて欲しいなんていう願望があるのではないかと思うんですけどね(笑)。最初に聴いてしばらくは、EL&Pというと「恐怖の頭脳改革」というイメージがこびり付いていました。

その後、同じく何かのFM番組で「悪の教典#9第一印象パートI(Karn Evil 9 1st Impression Part I)」を聴いて、彼らに対するイメージが少し変わりました。キース・エマーソンが歌っているのでは?という噂がある曲です。これを聴いて、たしかに驚異のロックトリオという言われるだけのことはあるな・・・と思いました。当時はビートルズ以外の凄いバンドを求めて、ディープ・パープル(Deep Purple)、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)、クイーン(Queen)、キッス(Kiss)、エアロスミス(Aerosmith)などを聴きまくっていた、74年頃のことです。今にして思えば、人生の中で最も多感な時期ですね。しばらくして、高校の先輩から『恐怖の頭脳改革』のダビングテープを借りました。まず「聖地エルサレム(Jerusalem)」の雄大さや「トッカータ(Toccata)」の大胆さに耳を奪われますが、これらの曲が「悪の教典#9」のような大曲と並んでいても、遜色ないインパクトを持っていることに驚かされます。

『恐怖の頭脳改革』だけでかなり長い間満足した後、『展覧会の絵(Pictures At An Exhibition)』を聴きました。LPだったので例のごとく、家族が寝静まった夜中にテープへのダビングを兼ねて針を落としたのですが・・・気付いたときには19分のA面を聴き終わっていました。喉がカラカラに渇いて唾が飲み込めないまま、彼らの圧倒的な演奏と音楽への執念に呆然としていたのです。これはもう原作がムソルグスキーのクラシックだとか、それをロックバンドが演奏したとか、そういったことが非常に些細なことに思えるほど素晴らしいものだと思います。しかも、熱狂的なライヴ録音だったというのにも度肝を抜かれました。

次の興味はやはり3枚組のライヴ盤『レディーズ&ジェントルメン(Ladies And Gentlemen)』でした。とにかく『展覧会の絵』の衝撃が頭に残った状態で聴きたかったので。そして同様に打ちのめされた記憶があります。『恐怖の頭脳改革』後のライヴから選曲されたということで、ほとんどの曲を網羅していました。「悪の教典#9」は何とLP1枚分のスペースを使って収録しています。いずれもオリジナル曲と同等かそれ以上のパフォーマンスであり、しかもそれが100分を超えるヴォリュームになっていて、当時の彼らの勢いが如何に凄まじいものだったかを想像させてくれます。

彼らの凄いところは、オーバーグラウンドで堂々とロックの既成概念を打ち破り、その圧倒的なパフォーマンスを多くの聴衆にまざまざと見せ付けたという点でしょう。ただ、70年代後半には「展覧会の絵」におけるオーケストラとの共演にこだわって、商業的に上手く行かず勢いを無くしてしまうのですが・・・もう少しアカデミックな路線を行ったら成功したのではないかという気もしました。3人で演奏した当初の演奏が凄過ぎて、それを上回るものを期待されても無理だったわけです。結局彼らの最高点は、H.R.ギガーのジャケットアートとピート・シンフィールド(Pete Sinfield)の作詞協力を得た『恐怖の頭脳改革』であり、その後は自身のオリジナリティをどんどん見失っていったと思います。そこですべてを出し切ってしまったということだったんですかね。

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July 07, 2005

優しい巨人

ジェントル・ジャイアント(Gentle Giant)も、高校生の頃の1500円シリーズがきっかけで聴くようになったバンドだ。たしか、『ジェントル・ジャイアント』と『スリー・フレンズ(Three Friends)』が廉価で売られていて、ファースト・アルバムのジャケットを恐る恐る裏返すと、ライナーノーツを読めるようになっていた。まず目に入ったのが、彼らに触発されてイタリアでPFM(Premiata Forneria Marconi)が結成されたと書かれていたこと。まだその頃はPFMがどんなバンドなのかは知らなくて、イタリアン・プログレの凄いバンドくらいの認識だった。そんなバンドの結成を促す程のロック・ミュージックって、一体どんなものなのかというのが気になって、これは聴くしかないと聴く前からどんどん気持ちが盛り上がっていった。当時は新たに興味あるロック・バンドを見つける度に、そんな感じで盛り上がっていて、聴く前からそのサウンドを想像していた。

ファースト・アルバムの1曲目「ジャイアント(Giant)」は、キング・クリムゾン(King Crimson)の「21世紀の精神異常者(21st Century Schizoid Man)」ほどのインパクトは無いものの、彼らの決意を表明したような曲だ。この曲に漂う雰囲気でサイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンド(Simon Dupree And The Big Sound)から、ジェントル・ジャイアント結成までの経緯を感じ取ることが出来るだろう。彼らは「スタジオでもステージでも同様に炸裂する、自分たちから始まる、自分たちにしか演奏出来ないサウンドの達成」つまり、完全にオリジナルなサウンドを目論んだのである。

ジェントル・ジャイアント結成の経緯は、レコードに付いているライナーを読んだ人ならよくご存知のはず。シャルマン三兄弟が王立音楽院で作曲の学位をとったという(それだけでモノ凄いことらしい)ケリー・ミネア(Kerry Minnear)と偶然出会い、ギタリストのオーディションで唯一他の楽器のチューニングを要求したゲイリー・グリーン(Gary Green)を採用して結成に至った。ただしドラマーが決まらず、結成時点ではマーチン・スミス(Martin Smith)というセッションドラマーだった。この6人編成でファーストアルバムとセカンドアルバム『アクワイアリング・ザ・テイスト(Acquiring The Taste)』を制作している。その後サードアルバム『スリー・フレンズ』で正式ドラマー、マルコム・モルチモア(Malcolm Mortimore)を採用したが、事故により脱退。次作『オクトパス(Octpus)』で怪物ドラマー、ジョン・ウェザーズ(John Weathers)が加入し、やっと定着した。ところが、5作目『イン・ナ・グラス・ハウス(In A Glass House)』では主に管楽器を担当していたフィル・シャルマン(Phil Shulman)が脱退してしまう・・・ということで以降は、デレク・シャルマン(Derek Shulman)、レイ・シャルマン(Ray Shulman)、ケリー・ミネア、ゲイリー・グリーン、ジョン・ウェザーズの5人が不動のメンバとして活動することになる。最近になって数多く発掘されているライヴ音源のほとんどは、この5人で演奏されているものである。マーチン・スミスやマルコム・モルチモアが参加しているライヴ音源は、一度もお目にかかったことが無い。きっとブートで出回っているのだろう。

彼らの音楽は一言で言えば「玄人受けするロック・ミュージック」ということになるだろう。つまり我々のようなロックリスナーよりも、ロック・ミュージシャンにファンが多いということである。「英国一無名のロックバンド」という皮肉さえ生まれたほどだ。しかし、彼らの音楽は別にクラシックように気難しいわけではなく、よく聴いてみれば個々のメロディにしろ歌詞にしろ親しみ易いものが多い。それらが複雑なリズムや曲構成を伴うために、第一印象としてつかみ所が少ないという印象を持たれるのであろう。とくにファーストアルバムからサードアルバムまでにその傾向が強い。ジョン・ウェザーズが加入した4作目以降から、徐々に複雑な曲でありながらも洗練されたイメージになってきて、6作目『パワー・アンド・グローリー(Power And Glory)』の頃にはアメリカでも多くのファンをつかんだようだ。

彼らの演奏風景は最近発売されたDVDで見ることが出来る。おそらく、レイ・シャルマンやケリー・ミネアのマルチプレーヤーぶりには驚嘆するだろう(笑)。

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July 05, 2005

ザ・ビートルズ・フォーエヴァー

ビートルズ(Beatles)に興味を持ったのは、カーペンターズ(Carpenters)がビートルズのカバーをやっていて、その元歌が聴きたくなったからだ。当時、たぶん小学生の頃だったと思うが、割と天邪鬼な性格だったので、ビートルズ、ビートルズって言うけど、何がそんなに良いの?くらいにしか思っていなかった。ある時、友人に「ビートルズってそんなに良いの?」って聞いたら、貸してくれたのが「ザ・ビートルズ・フォーエヴァー」というFM番組を録ったカセット・テープだった。かなりの時間を割いた特集番組で、これを聴いているうちにすっかりビートルズの虜になっていった記憶がある。ちなみに、この番組のことをWEBで検索してみたのだが・・・ひっかかって来なかった。30年近く前の番組であるが、丸ごとCDにして発売して欲しいくらいである。

とにかく中学1~2年の頃はビートルズ一色だった。FM雑誌を買ってビートルズの番組を見つけると必ずエアチェックし、寝ても覚めてもビートルズを聴いていたと思う。聴き過ぎて、頭の中でいつもビートルズが鳴っていた。こんな状態で勉強に身が入る筈も無く、学校の成績はどんどん悪くなっていった。中学3年の受験勉強の頃もビートルズを聴いたり、ラジオの深夜放送を聴いたりして、その現実逃避が心地良かった。

ビートルズの曲で最初にピクンと来たのは「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー(Strawberry Fields Forever)」だった。もちろん、「ヘルプ(Help)」「イエスタデイ(Yesterday)」「レット・イット・ビー(Let It Be)」などの超有名曲を除いての話だ。この曲はリードオルガン(Reed Organ)のイントロで始まり、ギター×2、ベース、ドラムスというもともとのバンド構成とは違い、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器や管楽器を使って演奏されている。しかも、曲全体が非常に幻想的である。番組の中では、ヤードバーズの「幻の十年」に匹敵するほどのサイケデリック・ショックとインストゥルメンタル部分を持つ曲、というふうに紹介されていたと記憶している。また当時台頭してきていたヴァニラ・ファッジ(Vanilla Fudge)、クリーム(Cream)、ジェフ・ベック(Jeff Beck)、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)などのニューロック勢の影響もあったはずだ。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」に魅せられた中学生は、しばらく後期の曲ばかり夢中になって聴いていた。ビートルズにはホントに名曲が多いし、レパートリーの幅も広い。これも現在の趣向を裏付ける一因である。つまりレコードを買うときには、自然と彼らに無いものを持ってそうなアーティストかどうかを気にするようになったということだ。

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July 04, 2005

最上の女性ヴォーカル

中学生になって間もない頃だったと思うが、私の洋楽好きを決定的なものにしたのはカーペンターズ(Carpenters)に間違いない。とくにレオン・ラッセルのカバーである「スーパースター(Superstar)」と「マスカレード(Masquerade)」に漂う大人の女性の色気にコロっといってしまったのだと思う。こういう、ガキにもピンと来る大人の雰囲気は日本の歌謡曲にはなかった気がする・・・しいて言えば、ちあきなおみくらいじゃなかったか。

カーペンターズの取っ掛かりというと、聴き始めた年代の関係で「イエスタデイ・ワンス・モア(Yesterday Once More)」とか「オンリー・イエスタデイ(Only Yesterday)」とか「プリーズ・ミスター・ポストマン(Please Mr. Postman)」とか「見つめあう恋(There's A Kind Of Hash)」ということになる。ただカーペンターズ通に言わせると、この頃彼らはすでに煮詰まっていたということらしい。まあ完成の域に入ったということであれば、そのまま素晴らしい音楽を続けてもらえば良いと思うのだが、供給側はそんな風に思えなかったということか。

もうずいぶん前のことになるが「知ってるつもり」という番組でカレン・カーペンター(Karen Carpenter)を取り上げていた。彼女は母親から、才能ある兄リチャード(Richard Carpenter)よりも決して前面に出てはいけない、と常に言い聞かされ続けていたらしい。その精神的苦痛は大変なもので、それが異常なプラクティスや拒食症につながったのではないかと言われている。あの素晴らしい歌声の裏にそんな話があったとは・・・番組を見ながら思わず涙が出てしまった。以来、晩年の彼らの曲は痛々しくて聴けなくなっている。

彼らが最も勢いがあったのは『ナウ・アンド・ゼン(Now And Then)』を出して、オールディーズ・メドレーを楽しそうに演奏していた頃だったんじゃないかと思う。それは日本公演のライヴを聴くとよく分かる。

一番好きな曲は何と言っても「動物と子供たちの詩(Bless The Beasts And Children)」。この曲を聴くとホントに心がなごむ。他にも名曲がいっぱいあり、健気なカレンの歌う姿を思い浮かべながら聴いている。

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神秘の飛行船

中学生の頃にディープ・パープル(Deep Purple)と並んでよく聴いたのがレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)だった。たしか、『プレゼンス(Presence)』以外はすべて友人から借りて聴いた記憶がある。当時はまだオーディオを持っていなくて(持っていたのはラジカセとBCLラジオだけだった)、レコードを聴く環境が無く、カセットテープを借りて聴くことが多かった。いずれも当時最も人気のあるハード・ロック・バンドだったので、ついつい興奮してボリュームを大きくしてしまい、よく親に怒鳴られたものだった。

当時のハード・ロック・ファンには、パープル派とツェッペリン派が居た。今にして思えば、ホントに甲乙付けがたい素晴らしいロック・バンドだったのだが、中高生の頃はそんなふうに思えるわけがなく、どちらが良いのかを見極めなければ気が済まないという感じで、結論の出ないようなことをいろいろ語り合っていたと思う。有名なのは、リッチー・ブラックモア(Richie Blackmore)対ジミー・ペイジ(Jimmy Page)の構図。この2人はそれぞれバンドのメイン・プレイヤーであり、メイン・コンポーザーでもあったので、モロに比較され、常に笑いものにされていた。ときには、使用していたギターであるストラトキャスターとレスポールの比較にまで発展してしまい、ちょっと行き過ぎじゃないかって気もしたが。

彼らのアルバムで一番好きなのはやっぱりファーストかな。一般的に彼らの名盤はIIとIVということになっているが・・・IIは出来過ぎか。音のパワーといい、演奏といい、アルバムの曲構成といい、ハードロックの名盤として全く申し分ない。でもファーストが好き(笑)。

もともとレコードを買う前はIIとIVを真っ先に聴いた後『永遠の詩(The Song Remains The Same)』を聴いて、その3つだけでかなり長い間満足していたと思う。名曲「天国への階段(Stairway To Heaven)」や初期の看板曲だった「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」は網羅していたし、ライヴではLP片面曲だった「幻惑されて(Dazed And Confused)」のスタジオバージョンが6分半ほどの短い演奏だったということで、ファーストアルバムにもあまり興味が湧かなかったというのもある。だが、しばらくしてプログレを夢中になって聴き始めると、60年代後半から70年代前半のアーティストはファーストアルバムが最も興味深いということに気が付いた。その頃にはヤードバーズ(Yardbirds)解体からツェッペリン結成の経緯や、第1期ジェフ・ベック・グループ(Jeff Beck Group)の『トゥルース(Truth)』との近似性(類似性?)などという話も見たり聞いたりしていて、当初とはかなり見方が変わっていった。

発表当初のファーストアルバムはジェフ・ベック・グループとの近似性の問題からか、イギリスではかなり冷遇されたと言われている。どちらにも「ユー・ショック・ミー(You Shock Me)」という曲が入っているし、ロバート・プラント(Robert Plant)の声はロッド・スチュワート(Rod Stuwart)に似ている?し、ジミー・ペイジとジェフ・ベックはヤードバーズで一時期ツイン・リード・ギタリストだったし(関係ある?)、ベーシストにギタリストのロン・ウッド(Ron Wood)を入れたのに対抗(?)して、ギターやオルガンも弾く器用なジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones)にベースを弾かせている・・・など。また、ジミー・ペイジがヤードバーズを解体させた張本人だと思っているファンも当時は少なくなかっただろう。

不思議と、ディープ・パープルのアルバムをすべて聴きたいとは思わないが、レッド・ツェッペリンのアルバムはあれこれ聴きたくなるのである。少なくとも『永遠の詩』までは・・・現時点で『フィジカル・グラフィティ』以外はすべてCDで買い直した。『永遠の詩』はビデオを買って見た。とにかく汗だくで演奏するジミー・ペイジが印象的だった。1ステージで2~3Kg痩せそうな気がする。どこにそれほどのエネルギーが宿っているのだろうと感心するばかりだ。

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